思い出せない
川崎ゆきお
それは部屋で突然思い浮かんだ。 そのネタなら小説として書けば面白い。 私はそのとき、すぐに書けばよかったのだが自室で小説を書いたことがない。 小説は外出先での暇つぶしで書いている。 携帯電話のメール画面で書いていた。 部屋のパソコンで書く習慣はない。 外出先で時間の隙間が空いたので、そのネタで書こうとした。 しかし、ネタを忘れてしまった。 どんなネタだったのかを思い出そうとしたが、手掛かりが何もなく、糸口さえ見付からない。 あのとき、どこかにメモすべきだったとは思わないのは、その必要がないほど、はっきりとしたネタで、印象に残り、しっかり記憶されているものだと確信したからだ。 それほど難しいネタではなく、他愛のない夢のような話だったような気がする。 ★ 数日後、私はコンビニへ行く道すがら、そのネタを思い出した。 「なんだ、これか」 と、ネタとの再会を喜んだ。このネタなら、すぐに書けるし、また書いてみたいと心から思った。 ★ 翌日、待ち時間を利用し、その小説を書こうとした。 だが、全くもって思い出せない。 手掛かりさえない。 昨日、思い出したとき、確実に記憶されたと信じた。それなのに記憶から削ぎ落とされている。 夢を見た後、しばらくは覚えているが、賞味期間が非常に短い夢もある。 今、その夢を思い出せても、数秒後どんな夢だったのかを忘れることもある。 夢もそうだが小説のネタなど忘れても差し障りはない。 まあ、どうでもよい話なのだ。 私は魚を二度も釣り落とした気になった。 釣り落とした魚は大きい。 ★ それから数日経過するが、そのネタは思い出せないままだ。 そのネタとは、ネタを忘れてドタバタするネタ……だったのかもしれないと思うことにした。 しかし、ネタに対してのネタだっという記憶はない。 それなら、 「やっと思い出した」 と、ピンとくるはずだ。 私は忘れた夢を思い出す努力の不可能性を知っている。 いつかあるとき、ある瞬間、ふっと思い出すことを楽しみにすることにした。 そして、そのときも忘れないようにとメモはとらないだろう。 了 2003年10月7日 |