小説 川崎サイト

 

しばらく空間の道


 しばらく、というのはよくある。どの期間、どの間隔なのかは分からない。昨日行った場所なら、しばらくぶりとは言わないだろう。だから、それよりも遠い日。これは曖昧で、何十年前でもしばらくだし、一週間前でもしばらく。
 また、五分とか十分の経過でも、しばらくして、ということもある。
 吉村はその間隔でいけば、それほど大昔ではない久しぶり、しばらくぶりの道を通っていた。ひと月かふた月ぶりだろうか。一度通ると、翌日はしばらくではなくなる。昨日というのはかなり近い。ついこの前よりも。
 吉村はたまにそういうしばらくぶりの通りに出ることがある。用事があれば別だが、ないときは意識しないと行けない。しばらくぶりなので、行ってみようという気持ち。まあ、それがあっても時間がないとか、それどころではないとかで、なかなか行けるものではない。また、その気も滅多に湧かないだろう。
 それがその日、沸いた。行ってみようという気持ちが。
 それは、その通りに出る手前まで用事で来ていたため。また家を出るとき、そこまで出るのなら、そのまま行けば、久しぶりのところへ行けることを考えたからだ。
 用事は大したことはない。事務的なこと。嫌な用事ではないが、面倒な用事。そういうときほど、それが終わってから虚構へ出たい。久しぶりの道が虚構でも亜空間でも桃源郷でもないが、そういうのを入れたくなる。用事ではなく、一寸した浮き世離れなこと。
 久しぶりの道を通るだけで浮き世からは浮かないが、余計なことがしたいのだろう。
 有為なことをしたあとは、無為なことがしたい。これは吉村の癖のようなもので、ただの性分だろう。有為なことをしたあとは、さらに有為なことを重ねるタイプもいるだろう。
 吉村が用事後、すっと入り込んだ通りは、ただの住宅地の中の道。しかし、昔の村道のようで、細いが長く続いている。その沿道も、村時代の置き石とかがある。軒下に漬物石より大きな石が置かれている。これは持ち上げて移動させるのは大変だろう。何かの用途があったはず。そういうのが狭い通りの路肩にポツンとあったりする。角にあるのは車除けかもしれない。曲がりきれなくて、擦られるのを嫌うため。それは最近のものかもしれない。
 そういった昔の痕跡が一つでもあれば、道の印象が違う。そして立て替えないまま残っている農家もある。祠もある。
 吉村にとり、ここは異郷なのだ。
 どうして、そこへ入り込むのか。それは無為のため。あまり沿道風景に特徴がありすぎると、目立ちすぎ、有為になってしまう。何かありそうなためだ。その欠片が少しある程度では、有為にならない。刺激も少ないが、ゆったりできる。
 しかし、この通り、しばらくぶりが短すぎると駄目で、ある程度間隔を空ける方が好ましい。毎日だともう日常内に取り込まれ、違和感もなくなる。
 吉村はその通りや町とは何の関係もない。ただの通行人。
 刺激はありすぎてもいけないし、なさ過ぎてもいけない。
 吉村はそこで、何かを得るわけではないが、それなりのものをじんわりと得ているのかもしれない。
 
   了
 


2021年4月28日

小説 川崎サイト