小説 川崎サイト

 

知恵倉左衛門


 門田左衛門という物知りがいる。知恵者で知られているが、もう現役からは引いている。しかし、左衛門の知恵とは記憶だろう。過去のデーターに精通しており、人の流れも、よく記憶している。それに現役時代が長いので、かなりの情報量。生きた知恵倉だ。
 門田左衛門はそれほど高い身分ではない。それだけに同じ場所から長い間、物事を見ていた。特に政を。
 その知恵倉は結構繁盛しているが、知恵と言うよりも、色々な仕来りを教える程度。人に聞けないこととかでも、左衛門なら聞きやすい。既に現役ではないので。
 それと大人しい人柄で、嘘を言わない人だし、欲深い人でもない。
 そこへ藩の重臣が訪ねてきた。この重臣も大人しい。出しゃばらない人なので、重臣と言っても隅っこにいる。重臣の家に生まれたので、それを継いだだけ。
「鎌田氏ですかな」
「そうです。左衛門殿なら、よくご存じのはず」
「羽振りがいいお方なので、評判になっておりますが、それ以上のことは知りません」
 鎌田氏も重臣だが、まだ若い。伸び盛りで勢いがある。
「ありすぎますなあ。それで終わるでしょう」
「ほう。しかし、わしとしては鎌田に注目しておるのだが」
「誰でもですなあ。あの勢いの強さを見れば、そうなるでしょう。しかし、早すぎましょう。働き急ぎですな」
「でも、勢いのある方に寄り添った方が」
「次に来るのは杉田殿です。この人の方が安定しています。地味なので、目立ちませんが、鎌田氏がいなくなれば、残るは杉田殿程度でしょ」
「いなくなる」
「あの勢いでは、すぐに終わりましょう。岸和田氏しかり、富田氏しかり。私はこれまで、多くを見てきております。その流れから行くと、そうなるように思われますが」
「では、まだ頼りげな杉田氏がいいと」
「そうですなあ」
「それは、どうして分かるのですか」
「そういう例が多いからです」
「いや、鎌田氏は、このまま行けば、凄い人になります」
「早すぎるのです。そういう人は転びやすいので、さっと引いたりします」
「引くとは」
「途中で、やめてしまうのです。勢いはそこで終わってしまいます。その続きがない」
「また、聞きますが、どうしてそれが分かるのですか」
「前例ですな。しかし、鎌田氏がそうなるとは限りませんが」
「そうでしょ」
「勢いのある人に乗るのは悪くありません。鎌田氏に乗りたいのなら、乗ってもよろしいかと。ただし杉田殿とも親しくなされた方がよろしい」
「流石知恵倉」
「いえいえ、よくあることを言っておるだけですよ」
「それで、貴公は鎌田氏について、本当はどう思われておる」
「非常に気に入っておりますよ。あの勢いの良さ、痛快です。しかし、心配しておるのです。いつまでもその勢いのままでいられるかとね」
「分かりました」
「まあ、あたりまえのことをあたりまえのようにお話し申しただけで、凄いことを言っているわけじゃありません」
「これで、我が家の方針が決まりました」
「いやいや、先のことなど、誰にも分からない。そういう前例もありましたよ」
「じゃ、どっちなんですか」
「あ、さあ」
 
   了

 
   


2021年5月4日

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