小説 川崎サイト

 

柵越え


「越えられるか、この柵を」
「無理です」
「それでは修行にならん」
「この前、飛び越えました」
「それは低い柵」
「もうそれで、一杯一杯です」
「あれは、かなり低い柵。修行は今、目の前にあるその柵からじゃ。簡単に越えられる低い柵では修行にならん」
「それを越えることができれば、次はどうなります」
「さらに高い柵」
「じゃ、きりがありませんねえ。それにある程度の高さになれば、人では越えられないでしょ」
「まあな」
「そういう人では越えられない柵越えこそ、必要なのです」
「まずは、己の限界を知ること」
「大凡分かります。この柵は頑張れば飛び越えられそうですが、最初はぶつかると思います。すねを打ったり。また、飛び越えたつもりでも後ろの足が引っかかってとか」
「だから、そういうことは練習と慣れで何とかなる。行けるところまで行くのが修行」
「でも限界があるでしょ。その先は人では無理な高さにいずれなるのですから。私が欲しいのは、人では飛び越せない柵を跳び越える術です。だから、こんな低い柵など、越えても越えられなくても、どうでもいいのです」
「高い柵でも跳び越える方法はある。いくらでもある」
「台とか、紐とか、そういうのを使うのでしょ」
「そうじゃ」
「だったら、最初から、それを教えて下さい。でも台なんて教わらなくても分かりますし、紐もそうです。誰でも思い付くでしょ」
「まあな」
「じゃ、修行などしなくてもいいのでは」
「修行とは心も鍛えること」
「そちらへ行きますか」
「それも込めての修行じゃ」
「精神的な」
「そうじゃな」
「精神的修行を修めても、越えられないものは越えられないでしょ」
「高さに拘るでない」
「でも、高い柵を越えるのが目的なんでしょ。高さが問題ですよ」
「高さを問題にしない飛び方ができるようになる」
「でも台や紐を使ってもやはり限界があるでしょ」
「限界を見極めることも修行なのじゃ」
「分かりました。なんでも修行なのですね」
「そうじゃ」
「最終的には何処に到着するのですか」
「柵など跳び越えるも、飛び越えぬも、もうどちらでもよくなる」
「じゃ、飛び越えない場合もあるのですね」
「そうじゃな」
「じゃ、先ほど、最初に私が言ったのと同じじゃないですか」
「そうだったか」
「既に、私は修行を終え、悟っていたのですね」
「違うと思うが、まあ、そういうことかな」
「えへへ」
 
   了



 
   


2021年5月10日

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