つまらない一日
高峯は地位も名声も財もある。世間から見れば成功者。
しかし、いつ頃からかは分からないが、あまり楽しくない。日々がつまらない。仕事はまだ詰まっていないが、現役とはいえ、もうその上での楽しさや嬉しさ、また苦しみもないが充実感もない。
若い頃、果てなく駆け上っていた頃の威勢はない。天井知らず。今も天井まで、まだまだ先はあるが、高峯自身が天に召されるのが先だろう。
しかし、高峯は姓通り、高みを征したのだが、そのあとが長い。
人が羨む暮らしをしているのだが、本人はそう感じていない。そんなものはどうでもいいこと。
いい暮らしも続くと、飽きてくる。たまの贅沢なら楽しいだろうが。
それで最近は朝会をやめ、丸いちゃぶ台を縁側近くに立て、メザシとお茶漬けで済ませている。
これはできるだけ、つまらない暮らし、つまらない日々を心がけているため。
つまらない日々。敢えてそれを望んでいるし、実行している。だからつまらないドラマを見たり、つまらない用事をしたり、仕事も、つまらないものばかりを選んで引き受けている。
日常ベースがつまらない。これだ。
これは構えなのだ。そんな日々だからこそ「おお」というのが来ると、にんまりする。少し血が走り、活気が出るが、それをできるだけ押さえながら、じっくりと味わう。
日々がつまらないからこそいいのだ。
そういう「日々つまらない作戦」が効いてきたのか、高峯そのものも、つまらない人間になってきた。
しかし、それは若い頃から望んでいたこととは真逆。いつの間にかそういうことになっている。
多くの夢を果たした人間なのだが、そのわりには寂しい。何かつまらない日々になっている。それで敢えてつまらない日々になるように舵を切った。
つまらない日々、それが夢だとすれば、簡単なこと。
しかし、つまらなさが加速し、増えすぎたため、つまらないことが詰まりすぎた。
だが、「つまらん」「つまらない」と言いながら日々を送るのも悪くはない。しかし、最初からつまらない人間ではできないだろう。
高峯のような大成功者だからこそ、格好いいのだ。
何もかもがつまらないことだと思いながら、その底に、とっておきの水でも流れているのか、高峯は満更でもないようだ。
まさに高峯からの雪解け水だろう。
了
2021年5月14日