小説 川崎サイト

 

安らぎの時


「安らぎですか」
「そうです。欲しいのです」
「そんなものは寝ているとき、得ているでしょ。毎晩。そこが一番の安らぎ。それを超えるものなどない」
「でも寝ているので、意識がないので、分かりません」
「たまに目を覚ますでしょ。ああ、寝ていたと」
「でも安らいでいるのかどうか、よく分かりません。そんな実感は」
「安らかな眠り。これが一番。誰にでも手に入るというより、最初から備わっている。何も安らぎなど求めなくても最初から得ているのだから」
「そういうことではなく、寝ている時間以外での安らぎの時間です」
「じゃ、何もしないで、じっとしておればいい。まさに安静」
「それも飽きてきます。何かしようとします。だから、何かをしているときに安らぎを感じるようなのがいいのです。それが安らぎの時間になります」
「廊下はあるのかね」
「廊下」
「家に廊下はあるか」
「はい、あります。結構長いです」
「いいじゃないか。じゃ、廊下の雑巾がけ。これは君、安らぐよ」
「掃除でしょ」
「特にコツはないし、技術もいらない。普通の濡れ雑巾を使うだけ。拭き方は自由」
「そんなもので、安らぎますか」
「無駄なことをしているわけではない。有為なことだ。これが大事。前提がね。遊びじゃない。余計なことをやる趣味でもない。実用性が高い」
「雑巾がけですか」
「まあ、やってみなさい。分かるから」
「はい」
 
「どうだった」
「一週間ほど続けました」
「それはいい。続けられたのだね」
「徐々に拭き方や順番や雑巾の水分などについて、分かってきました」
「いい時だ」
「一週間もしないうちに、もう慣れてきました」
「飽きないでしょ」
「数日続けると、拭かないと、気持ちが落ち着かなくなりました」
「安らぎはどうだね」
「無心です」
「何も考えないで」
「少しは考えますが、静かです。気持ちが」
「それで安らぎの時間ができたんじゃないか」
「まだ弱いですが」
「強いと安らぎにならん」
「はい」
「静かな心を得る。これが安らぎでは大事なこと」
「確かに他のことをしていたり、じっとしている時よりも、いい感じです」
「それはよかった」
「有り難うございました」
「雑巾一枚で得られる安らぎ。そこがいいだろ君」
「仰る通り」
 
   了

 

 


2021年5月22日

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