小説 川崎サイト

 

平穏な日々


 ほっと一息ついた日がある。「ほっ」と声を出すわけではなく、息の音だが、これは音にならないはず。吸う音ではなく、吐く音。それが「ほっ」と聞こえるのだろうか。
 田沼は起きたときからそのほっと一息付いた日になるのだが、それは前日に終わったことについてで、寝起き早々ほっと一息つくわけではない。まだ何もしていない。
 しかし、寝ていた。これはしていたことになる。無事に眠ることができたので、それでほっと一息つくかもしれない。
 実は昨夜、寝るとき、既にほっと一息ついていたのだ。そのため、枕を高くして眠れた。高すぎると、逆に眠りにくいのではないかと思われるし、また横向けになって寝るとき、枕が高いと首が痛かったりする。また枕を使わなかったりもする。
 しかし、寝るときではなく、それ以前に、用事を済ませたのだろう。昼間の話だ。それを果たしたので、ほっと一息ついたことになるので、ここで最初の「ほっ」をやっている。
 朝、目覚めたとき、何度目かのほっと一息をついたのだが、これは日に関している。用事は昨日終わったので、今日はもうそれがない。用が済んだ翌日にあたる。
 だからほっと一息つける日。昨日の朝は、まだついていない。用事が片付くまで。
 だから昨日は一息つけない日の最中。今朝はもう用事がないので、一息つける日。おそらくその翌日もそうだろうが、一息なので、一つでいい。一日でいい。そう何度も何度も一息つていては一息の値打ちがない。最初の一息がいい。
 その後も息を続けているが、その息が違うのだろう。「ほっと」の息なので。
 さてそれで、田沼は、その朝はのんびりとできる。何かから解放されたようなもので、気がかりがなくなったようなもの。これがプレッシャーになり、少しだけ憂鬱。それを果たしたので、晴れた。
 その日は休みで、好きなことをして過ごしてもいい。用事を片付けたあとなので、気兼ねなくやれる。別に人に気兼ねしているわけではなく、自分自身にだ。
 忙しいときに遊んでいると、そんなことをしている場合かと、自分自身から攻撃されるだろう。まあ、自分自身なので、それはどうとでもなるが、やはり安心して遊んでいられない。何処かで、用事が気になる。
 それで、その日はいい日になった。いつもの日ではなく、何か気分がいい。こういうのは一日だけで、あとは普通に戻る。
 だから、今日だけはいい日。
 すると、懸案や難題、面倒事を片付けたあとの清々しさを味わうためには、面倒事を作った方がいいのではないか、とは、やはり考えないが、今朝の気分の良さは、そこから来ていることは確か。
 ややこしい問題が当分ない日々。これを平穏な日々というのだろう。
 
   了

 


2021年5月28日

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