小説 川崎サイト

 

隠し芸


 ある芸術家が弟子に秘伝を授けた。その芸術家もその師匠から同じように秘伝を授けられている。この流派に伝わる家伝。
 これは口頭で伝えられている。流派の秘伝、奥義のようなものだが、家伝と違うのは他人に伝えることが多い。だから一番弟子がその候補で、血縁関係ではない。
 その内容は隠し芸。簡単なことで、それが奥義。奥義の芸ではなく、隠すことが芸。だから隠し芸。そんなものなど秘伝でも何でもない。
 しかし、それを授けられると、周囲の人間も一目置く。もの凄い芸を授けられた、または身に付けたと思われるため。
 凄い芸を隠しているのだが、隠すことが芸なので、隠し芸を披露することはない。またそれを用いることもない。隠してこそ隠し芸。出してしまうと、もう終わり。
 芸を隠すのが芸。だからその芸は使わない。如何に隠すのかが芸で、隠し方が芸なのだ。
 簡単なことなので、奥義でも秘伝でもないのだが、これがなかなか難しい。隠しているものを出してしまうと、一巻の終わりで、もう芸ではない。芸を出すと、芸ではなくなる。
 確かに不思議な流派だ。隠し技のように、ここ一番のときに使うような感じではない。なぜなら使わないためだ。それに奥義と言うほどの技など最初からない。
 一番弟子が、その秘伝を聞いたとき、がっかりしたのだが、その流派が長く続いているのは、そのため。芸を常に隠し続けているため、それがいつ出るか、いつ出るかと恐れられる。ただ、これは芸術の世界なので、格闘戦ではない。芸での戦いだ。
「芸を隠すと、素人に戻るのではありませんか」
「身に付けたものは使ってもよろしい。隠すようなことではないでしょ」
「そうですねえ。誰でもできることですからね。少し練習すれば、また、慣れれば自然と身につきますし」
 だから、この流派、師匠ほど素人臭い。隠さなくてもいいものまで隠しているためだが、隠し方に何とも言えぬ芸を感じる。
 芸をしない。それが、この流派の特徴だが、多くの弟子は、結構芸をしている。伸び盛りのためだろう。しかし、それには限界がある。
 隠すことで限界を見せない。
 先代が考えついたことで、それほど達者な芸術家ではなかったのだろう。
 
   了

 


2021年5月29日

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