小説 川崎サイト

 

鏡の中の自分


 白木は鏡を見ていた。家に古くからある鏡台、少し離れると、全身が写る。姿見鏡だ。祖母のものらしいが、その経緯は分からない。
 白木は産まれたときから、その鏡があることを知っていたが、誰も使っていない。倉庫の二階の片隅に置かれている。鏡台の前には何もないので、仕舞い込んでいるわけではない。
 布が被せてあり、普段は鏡だとは分かりにくい。外すと鏡そのものの映像、つまり奥行きがあり、少し頭を移動させると写っているものも動く。
 夏の暑い日、白木は子供時代、その倉の二階で勉強をしていたことがある。意外と涼しいのだ。
 そのとき、鏡があることは知っていたが、興味はなかった。
 白木は成人し、その後、家を継いだ。
 初夏の蒸し暑い夜。白木は寝付けないので、少し起きて、本を読んだり、考え事をしていた。布団の中でじっとしていると、余計に眠れない。
 煙草を吸うために、起きたようなものだが、何か気に障るものがある。気がかりというわけではない。そんなものは探せばいくらでもあるので、寝るときは考えないし、思い出さない。
 豆電球だけの暗い室内をウロウロしてみたり、そっと襖を開けて、廊下に出て、屋敷内を見回ったりした。といっても便所と台所や、裏庭の縁廊下を歩くだけだが。
 そのとき、あの鏡のことを思いだしたわけではない。庭の倉が目に入った。白壁なので、庭木の暗さの中で、目立ったのだろう。
 風通しのため、倉の扉は最初から開いている。入口にスイッチがあり、それを押すと、電気がつく。
 倉の中を覗いているとき、階段に気付いた。二階があることを、それで思い出した。子供の頃は隠れ家のように使っていたものだと。
 そのとき、鏡のことを思いだしたわけではない。
 二階に上がって、鏡が目に入ったのだ。
 布が落ちたのだろうか。むき出しの鏡。それを見ていると、トンネルの口が開いているように見える。その中は当然鏡の中の倉。別にそこへ入らなくても、そこに今、既に立っている。
 鏡の正面に立つと、当然のように、白木が写っている。さらに近付くと、もっと大きく。
 白木が右手を上げると、鏡の中の白木は左手を上げる。
 薄暗い中で見る白木自身。
 今度は左手で、左目を押さえる。これで片目になる。鏡の白木は右目を押さえる。これは分かっていることなので、不思議でも何でもない。
 そしてゆっくりとその左手を額に上げる。
 そのとき、白木は、感覚がおかしくなったのか、認識するまで、間がかかった。一瞬ではない。あまりのことに、どう判断していいのか、分からないのだ。
 鏡の中の白木は手を目に当てたまま。だが白木は既に額から頭に手の平は移動している。ついてこないのだ。
 この判断は難しい。
 白木は両手で、鏡の前で振ってみた。
 しかし、鏡の中の白木はついてこない。ただ、右目に当てていた手は下ろしている。
 白木は鏡から少し離れた。鏡を見ながら。
 しかし、鏡の中の白木は後ろ姿。
 驚いた白木は鏡にまた近付くと、もう鏡の中の白木の後ろ姿は小さくなっていた。
 鏡の中の白木の後ろにあるものは倉の中のはず。
 白木は怖々、後ろを振り返った。
 
   了


2021年5月31日

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