小説 川崎サイト

 

引っ張る


「暑い中、わざわざどうも」
「梅雨の晴れ間ですから、外すと雨の中、出かけないといけませんので」
「しかし、暑いですねえ」
「真夏の断片を見る思いです」
「そうですねえ。梅雨が明ければ、今日のように暑い日になりますから」
「ところで、お伺いしたのは、他ではありません」
「分かっております。用件は一つ」
「はい」
「まだ、迷っております」
「いつ頃、お答えが出ますか」
「おそらく、この梅雨が明けた頃」
「分かりました。その頃、伺います。実はもの凄く急いでいるもので、できれば、今、決めていただきたいのですよ」
「時間を下さい」
「はい、分かりました」
 
 梅雨が明けた頃、その人が来た。
「暑い中、わざわざどうも」
「暑すぎます。身体に応えます。しかし、あなたのお答えを早く聞きたくて」
「そうですか」
「如何ですか」
「まだ、迷っております」
「まだですか」
「ここ最近、暑くて暑くて頭が回りません。もう少し冷静にならないと、何せ大事はお話ですから」
「ごもっとですが、もうかなり待ちました」
「待ちついでに、もう少し」
「いつ頃なら大丈夫ですか」
「この暑さが引いた秋口あたりなら」
「今、決められませんか」
「頭がぼんやりしていますので、こんな暑いときに出す答えは無茶な判断になりますから」
「そうですねえ。では、出直します」
 
 暑さがましになり、少し涼しくなりだした秋口。しかし、残暑はまだ続いている。
 その人は、またやってきた。
「考えが纏まりましたか」
「一度纏めたのですがね。ほどけました」
「涼しくなりました。今なら、大丈夫でしょ」
「風邪を引きました。暑いと思い、掛け布団を使わなかったので、寝冷えです」
「それは大変だ」
「寝込むほどではありませんが、正しい判断ができないかと」
「それは困りました」
「ご迷惑をおかけしております」
「いえいえ、その状態では」
「二三日で治ると思います。その頃なら」
「分かりました」
 
 その人は三日後、またやってきた。
「治りましたか」
「はい、回復しました」
「では、お答えいただけるのですね」
「はい、考えも纏まりましたので、いい判断ができると思います」
「ずっと、待ちました。この日を」
「あ、はい」
「で、どういうふうに決まりましたか。如何なる判断になりましたか」
「はい」
「どうぞ」
「判断しないと判断しました」
「判断なされない。決めないということですか」
「そうです。それが私の答えです」
「ん」
 
   了

 


2021年6月1日

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