小説 川崎サイト

 

連祠


 永野主膳は武士だが学者。また、お寺の息子でもあるが僧侶ではない。藩士だが役目はない。側近寄り合いという部署にいるが、その大部屋に詰めているだけで、何もしていない。
 お寺育ちなので、子供の頃から神秘的なことが好きなようだ。それほど怖い目に遭っていないためだろう。
 藩内では神秘家で知られ、一目置かれているのではなく、視界から外されている。実家の寺は大きい。代々の藩主の菩提寺でもある。
 側近だが、藩主と接することは殆どない。
 一目置かれていないので登城していなくても、誰も気にしない。それで勝手にそのあたりをうろついている。どうせ城に上がってもやることがないためだ。
 一応永野家という家老の家に養子で入っている。だから藩席を得た程度。
 その永野主膳が記した怪異談の一つを紹介する。
 それは祟る祠で、山神様を祭っている。
 村から山へ入るとき、登り口を少しだけ行ったところに見晴らしのいい場所がある、いかにもここから山の神の領域に入るような雰囲気がある。高い杉の木が二本あり、いい感じの岩もある。少し削れば祭壇になりそうな。
 山から神様が降りてこられたとき、ここに立ち寄る。御旅所とは少し違うが、里の人間との接点。ここで神様と取引をするわけではないが。
 ところが、この祠を建ててから、村に禍が続いた。火事とかだ。また祠前で転んだりする人が多いし、怪しげなものを見る人もいた。
 その里は永野主膳の藩内にあり、城を抜け出し、うろついているとき、その話を聞いた。
 祭っているのに、何故祟るのかと、里人は不思議に思った。不思議なことなどいくらでもあるというのが神秘家永野主膳の持論なので、普通に聞き流したが、原因はすぐに分かった。
 祠を建てるため、二本の大きな杉の木を伐っているし、祭壇にした岩も平らにするため、削っているし、さらに山道を広げるため、山を荒らしているのだ。
「そりゃ、山の神さんも怒るでしょ」
 永野主膳は祟り返しの祠を作るように命じた。しかし、その場所を、また荒らすことになるのだが、さらにそれを鎮める祠を作れと。
 そうしていくと、祠が連なることになり、最後の祠はもう村内。そこまで来れば、山の神も関与しないはず。これを止め祠と呼ぶらしい。
 それで、山の神の祟りらしい禍事は減ったとか。当然祟りではない禍事の方が多いのだが。
 今でも、山麓から祠がいくつも山道に連なって建っている。
 
   了

 


2021年6月7日

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