小説 川崎サイト

 

先人供養


 先人がいる。古川にとっては先人だ。その先人に取って代わり、古川が世に出た。既に産まれたときから世に出ているので、この場合の世とは、ある限られた世界だろう。
 その先人は、さらにその先にいる先人に取って代わり、上へ行ったのではない。古川に取って代われ、居場所がなくなったのではない。上にも行かず、下にも下らず、そのまま消えてしまった。
 世の中から消えてしまったわけだが、限られた世界から消えただけで、まだこの世で生きている。あの世の人ではなく、この世の人。
 古川も取って代わられてしまったが、消えたわけではない。下の方から次々に上ってくるので、早く上に登り、上の先人に取って代わればいいのだが、その気はなく、その場に居続けたが、取って代わられたので、実際には居場所はない。
 しかし、取って代わられた人達が溜まっている場所がある。溜まり場だ。もう先へは行けず、下にも行けない状態の人達。古川もその一人。
 さて、古川は月に一度顔を出す場所がある。意外と近所で、自転車で行ける。そこに先人が暮らしている。古川に取って代わられた先人で、蹴落としたのは古川。その古川も蹴り落とされているので、同じようなものだが、古川はまだ居続けている。
 その先人はもうその世界にはいないが、この世にはいる。そこへ、月に一度顔を見せに行く。挨拶だ。義理堅いわけではなく、似たような境遇になったためだろう。古川と似た境遇の人達がいる溜まり場もあるが、そこへ行くより、その先人の方がいい。
 日は決まっている。まるで月命日のように、その日でなくてもいいのだが、決まってその日。
 古川が決めた日だが、もう何年も同じ日に行っているので、変えたくない。その先人と日にちを約束したわけではない。しかし、決まって月の半ばの決まった日に行くようになったので、先人も、その日は知っている。だから家にいる。
 その日は暑いので、近くのスーパーへ寄り、果物でも手土産にしようと入ったのだが、真っ先に小玉西瓜を見てしまい、それしかないと、すぐに買った。小さな西瓜を半分に切ったものだ。断面の赤が鮮やか。その横にメロンも同じように半切りで売られている。色が違うが、似ている。
 それを買い、炎天下、先人宅を訪問した。先人は何度か引っ越し、安っぽいマンションに住んでいる。中古で買ったとか。
 そのため、古いので、部屋の前まで入っていける。あとはチャイムを押すだけ。
 ところが反応がない。日と時間は毎月同じ。だから先人は必ずいる。来るものと思っているためだろう。
 二度、チャイムを鳴らすが、やはり反応はない。試しにドアノブも回すと、ぐるっと回る。ロックされていない。
 古川はドアを開ける。鎖はない。一応先人の名を呼びながら、ドアを開けきり、そっと片足を入れる。
 古川は、廊下の奥に向かい、また声をかける。しかし、反応はない。
 中で倒れているのではないかと思い、靴を脱ぎ、マンション内を見て回るが、先人はいない。トイレや浴槽も見るが、いない。
 まさかとは思いながら和室にある押し入れを開けるが、蒲団があるだけ。
 洋服ダンスも開けるが、服が吊ってあるだけ。
 洋室があり、作業場らしきものがある。既に引退しているのだが、まだ続けているのだろう。この部屋には通されたことがないので、始めて知った。あの先人は、まだ続けていたのだ。
 古川は作業机に小玉西瓜を置き、マンションを出た。
 月が変わり、一ヶ月経過した。また同じ日の同じ期間に先人宅を古川は訪問する。
 先人は在宅で、いつものように、軽い世間話をして、今度は半切りメロンを置いて古川は帰った。
 
   了
 


2021年6月14日

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