小説 川崎サイト

 

自由時間


 やっと辿り着いた土曜日。休みだ。しかし、金曜、仕事が終わったときから休み。だが疲れている。気は解放され、浮き立っているが、身体が付いてこない。
 土日は休み。だから忙しくて休めないわけではない。それでも月曜から金曜は長い。この間、高尾の世界ではない。仮面を被った世界で、高尾の時間ではない。
 仕事が終われば高尾の時間になり、高尾の世界になるのだが、もう暗くなりかけているので、時間がない。夜歩きするのならいいのだが、疲れているので、その気が起こらない。少し買い物に寄る程度。
 食事は自炊。昼は弁当を作る。だから外食はないが、食材を買いに行く必要がある。買い物とはその程度。
 仕事にやりがいはない。無事一日勤め上げれば大成功で、やりがいがあるとすれば、無難に済ませた程度。
 仕事の中味ではなく、ただの処理能力の満足度があるだけ。しかし、そんなことにいくら巧みになっても人生は変わらないし、別のところで役立つ特技でもない。
 そして自分の時間を丸一日使えるのは土日だけ。使えるのだから、いいだろう。それもない人もいるはず。
 土日の自由さ、やりたいことができる。しかし、高尾には特にそれがない。だから自由な時間があっても、何もしないことが多い。それもまた自由だ。
 その土曜日、久しぶりに散歩にでも出ようと思い、自転車で外に出た。散歩とは便利なもので、無趣味者でもできる。散歩が趣味というのもあるが、色々なものを見て回る散策とは違い、高尾の場合、自転車で町内をウロウロする程度。
 では自転車が得意なのかというとそうではなく、自転車はなんでもかまわないので、一番安いママチャリに乗っている。買い物に行ったとき、その方が荷物を積めるため。前籠だけではなく、後ろにも籠を付けている。よく見かけるタイプ。
 決して長距離を走ったりするサイクリングのような趣味には至っていない。
 しかし、その日は、少し遠いところまで行ってみようという気になった。高尾としては珍しい。自由時間なので、そういう自由度を満喫したかったのだろう。自由を求めているが、これといったものがないのが惜しい。
 曇っているとは分かっていたが、夏の陽射しを受けるよりも楽なので、その方が好ましいと思っていたが、途中でやはり降り出した。パラパラと来た程度だが、衣服が濡れる。
 それで、引き返すことにした。
 そのまま進めば、何処へ向かっていたことになるのだろう。町内という引力圏から抜けるだけでよかったのだろうか。何か目的があったはず。
 その目的、途中で考えようとしていた。数駅向こうの距離になるが、そこに死んでいるのか生きているのか分からないような喫茶店がある。通勤電車内からたまにそれを見ている。いつか行ってみようと。
 それを急に思い出しつつあったのだ。自転車で出たので、電車には乗れない。それに通勤と同じコースを通りたくない。
 数駅、自転車なら問題のない距離。ただ、雨では無理。
 目的が浮かんだところで、消えたのだが、喫茶店ならこの近くにもあるはず。そして生きているのか死んでいるのか、分からないようなホコリっぽく、日向臭くなった店を知っている。
 それで、そこに行くことにした、雨で濡れてホコリっぽさも落ちているだろう。
 町内から少し出たところなので、あまり遠くはないが、普段、通らない場所。
 そのため、どの筋に入ればいいのか、迷いながら、そのあたりをウロウロした。
 自由なのだ。何をしようと。しかし本当にやりたいことではない。だが、何がやりたいのかがないのだから、仕方がない。
 要するに行き当たりばったり。その方が自由形でいいのではないか。本来の自由さとは、縛られないこと。
 目的を持つと縛られる。
 そして高尾はやっとその喫茶店を見付けた。これだけでも充実した。
 死んでいるか生きているか、分からない喫茶店。殆どは死んでいるようで、その店もそうだった。
 幸い、雨はパラッとしただけで、今、戻れば、それほど濡れないで済むだろう。
 
   了

 


 


2021年6月15日

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