小説 川崎サイト

 

三日坊主


 日南という明るそうな坊さんがいる。他にも同じ名の僧侶がいるためか、阿蘇の日南と名乗っている。日南海岸ではない。
 しかし、そこは故郷で、実際には都のある畿内周辺をウロウロしている。今で言えば関西方面だろうか。
 日南は放浪を続ける坊さんで、旅から旅への旅坊主。故郷には帰らない。居づらくなった理由があるためだ。
 その明るさから、どの村々でも歓迎される。寒村が暖村になるわけではないが、人々の心を明るくする雰囲気があるのだろう。温和な顔で、子供にも懐かれる。
 その説法は落語。非常に面白くて楽しい。そして分かりやすく明るい話が多く、程良い滑稽さもあるが、品を落とさない。
 そのため、豪農などに招かれ、数泊することもあるが、長くは泊まらない。
 好感度が高く、人をなごませる力がある。名の通り、日南。南国のお日様のような人。
 ただ、村に入っても、寺には行かない。村寺から誘われても、寺には寄らず、泊まらない。
 そして、何故か寺も日南を避けている場合がある。日南のことを知らない寺は別だが。
 日南に対し、嫉妬を感じるためかもしれない。
 ある村の陣屋のような大きな農家に日南が滞在した。いい機会ので、村人達は法話を聞き集まった。
 法話といっても世間話、旅の話で、仏とは関係のない落語のようなもの。だから落語会なのだ。
 陣屋屋敷は大いに盛り上がり、やがてお開きになったのだが、一人の僧侶が居残った。
 この村近くの大寺の住職だ。高僧とされている。
 厄介な者が居残ったと日南は思ったが、顔には出さない。にこやかにその高僧と向かい合った。
 高僧は強い眼差しで、日南を観察し続けている。それは何かを見付けるような目付きなのだ。
 日南はそれを感じたが、目は笑っている。こういうのに巧みなのが日南の芸だろう。芸とは思えないほど、嘘くささがない。これは自然に身についたものだが、その人柄から来ていることは確か。
 高僧は日南の何かを見抜こうとしたが、無理だった。日南のガードを破れない。
 三日目、日南は旅立った。
 そのあとを付けてきた高僧。暇なのかもしれない。出るのを見張っていたのだ。
 そして村はずれの松の木の下で、二人はまた対峙した。まるで対決だ。
「一つだけ聞きたい」
「何でしょうか」
「噂は色々聞いておる。長居せんことも」
「いえいえ、ご迷惑になりますので」
「誰にも言わぬ。わしだけに教えてくれ」
 厳しい目をしていた高僧だが、そのときは、優しい眼差しで、日南に聞いた。
「三日も持たんのです」
「ほ」
 日南の明るい芸は、三日が限度のようで、素に戻ると、もう日南ではなくなるためとか。
「日南坊」
「はい」
「それを聞いて安心した」
「あ、はい」
 
   了
 

  


2021年6月21日

小説 川崎サイト