小説 川崎サイト

 

人知外


 人知では計り得ないこと。可能性としてはあるのなら、これは人知内。また、可能性としてはないことだが、想像の世界ではあること。想像できるのだから人知内。
 あってはおかしいが、あることは知っている。ただ、現実にはないだけ。
 その現実の陣地と、現実外の陣地との境界線が時代により違ってきたりする。また、現実では有り得ないとされていたものが、あったとなる場合もある。
 いずれも人知内だ。真偽を問わなければ。
 では人知では計り知れない事柄とは何だろう。考えもしたことがなく、一度も誰もが想像さえしないこと。
 嘘の世界でも、まだまだ想像内。人知内。
 それではなく、人では捉えられない世界かもしれない。人知の知では引っかからないのだ。要するに頭で考えても出てこないし、妄想内にもない。
 これはもう知では捉えられないことなのだろう。そこまでは分かっていても具体的に何を指すのかは分からない。
 分からない世界。分からないと言うことだけが分かっている世界。そして、それは想像さえもできない。
 だが、それらを普段から使っているかもしれない。意識に上らないだけで。
 そのため、大層な話ではなく、何だそのことか、となる。それが知の盲点。見えていないのだ。死角なのだ。きっとそれは大したことではないに違いない。
 根本的なことはよく分かっていない。それに近い。
「竹田君、それは何かね。そんな研究は研究になるのかね。対象が曖昧すぎる」
「カテゴリーにないものがあると思うのです。何処にも属していないような」
「まあ、世の中のことは百科事典的に網羅されていますよ。何処かに入るでしょ。そうやって分ける。それが科学なんだ。色々な科があり、その中に含まれるんだよ」
「科学では捉えきれないようなのがあると思うのですが」
「それは文学だ」
「文学」
「そう言う曖昧なことはね」
「だから、それでも捉えられないものが」
「じゃ、芸術はどうだね」
「芸は具体的ですから」
「そうだね」
「じゃ、イメージ化されないイメージとかは」
「それは言葉の上では成立するでしょ。だから、世の中にあることです」
「そうですねえ」
「もしあるとすれば、考えもしないし、考えることもできないことだろうねえ」
「それも言葉の上で、存在しますねえ」
「ああ、そうだねえ。しかし人の頭で思ったり考えたりすることだから、限界があるよ」
「はい」
「もっと人に分かる研究をしなさい」
「はい、他のものを探してみます」
「うむ、そうしなさい」
 
   了


2021年6月29日

小説 川崎サイト