小説 川崎サイト

 

妖怪読経坊


 読経が聞こえる。これは妖怪の仕業ではないかと、妖怪博士は相談を受けた。
 梅雨時、雨が多い。妖怪博士は出るのが嫌だが、仕事なのでそんなことも言ってられないが、果たしてこれが仕事なのかどうかは曖昧。半ば趣味ではないかと思うのは、妖怪博士は妖怪ハンターではなく、ただの研究家。しかし、妖怪に詳しいのなら妖怪退治もできるだろうと思われ、結構その依頼が多い。
 元々は机上の人。フィールドワークはしない。昔から出る妖怪。それは創作なのだ。それを知っているので、現場を踏んでも仕方がない。それらしい山の怪が起こるような沢や峰は確かにある。そこで妖怪を見たとしても、さもあらんで、あってもおかしくはない。
 見たような気がする。が、見たとなり、いるとなり、名前まで付けられたりする。そうなると、一人歩きし出す。
 だが、それで、本物の妖怪を引っ張り出すかもしれない。藪蛇だ。下手につつかない方がいいが、そのときの本物の妖怪に、果たして姿形があるのだろうか。人が姿を付け、その性格まで付けたりする。
 もし本物がいたとすれば、その姿、その性格に従って、出てくるかもしれない。
 というようなことを思いながら、妖怪博士は駅までの道を行く。土砂降りに近い。足元が先ず濡れる。ズボンの裾が危ない。傘では間に合わない。やはり長靴が必要だろう。
 駅までの道が一番長いようで、そこからは電車で行ける。依頼人の家と最寄り駅は近い。
 依頼人の家は住宅地の中にある一軒で、特に変わったところのない一戸建て。小さくも大きくもない日本家屋。周囲も似たような年代に建ったものだろう。今風な建て方や建材ではないので、それなりの趣を残している。雨で濡れる板塀。苔が青く冴える石垣。
「お経ですか」
「はい」
 依頼者は妖怪博士よりも年上の老人。一人暮らし。家は二階建てで、以前は家族で住んでいたのだろう。子供は巣立ったようだ。奥さんはいない。
「何処から聞こえてきますかな」
「二階とか、庭の方とか、この壁の上とかですが、特定できません」
「一階ではないのですな。この部屋ではないと」
「はい、この部屋は居間兼寝室です。使っているのは、この部屋だけです」
「お坊さんが来られることはありますか」
「はい、お盆には来ます」
「まだ早いですなあ。聞いたのは最近でしょ」
「いや、何年も前から聞こえていたような気がします。家族がいた頃は気にならなかったのですが、一人でいると、聞こえてくるようになりました」
「お隣さんに坊さんが来て、拝んでいるのでは」
「夜中に、聞こえたこともあります」
「それはどんなお経ですかな」
「分かりません」
「じゃ、どうしてお経だと」
「リズムが似ているのです」
「言葉は」
「聞き取れません」
「何だと思われます」
「妖怪読経坊かと」
「それはあなたが名付けたのですかな」
「そうです」
「お坊さんの妖怪はそれなりにいます。この世だけではなく別の世とも関係する職種ですからな。だから、僧侶と妖怪は馴染みがいい。当然坊主の妖怪もいます。一つ目だったり、逆に目がなく、手の平に目があったりとかもね」
「はい」
「また、僧侶ではなく、ただの坊主頭の妖怪は無数にいます。ただ、お経をあげる妖怪も、探せばいるでしょ。ただ、お経だけが聞こえてくるというのは、珍しいかもしれません」
「その通りです」
「お経が聞こえてきたとき、二階へ行きましたか」
「行きました」
「どの部屋にもいなかったと」
「そうです。子供部屋でしたが、もう家具はありません。隠れようがない」
 妖怪博士は、どう処理していいのか、思案した。これは困ったと言うことだ。やりようがない。そんなときはは護符を出すのだが、これは切り札。最近出し過ぎだ。切りすぎだ。それで、控えた。
 そのとき、先ほどやみかかっていた雨が、また降り出した。
 その雨音が徐々に大きくなり、家が雨で揺れていているのではないかというほどの大雨。
「まずいですねえ博士」
「いえ、小降りになってから、戻りますので」
「それで、どうなんでしょう。読経坊を鎮める方法はありませんか」
「亡くなった奥さんにお経をあげに来ていると思えば良いのではないでしょうか」
 妖怪博士は、それで誤魔化そうとした。
 雨脚は治まらないどころか、強くなりだした。
「強いですが、強いほど長くは続かんでしょ」
 と妖怪博士が喋ったのだが、その声がよく聞こえないほどの雨音。
 依頼者は、もう一度言ってくれと、近付いて手の平を立て、聞き耳を立てた。
 そのとき、来た。
「これです。博士」
「ああ」
「聞こえますか」
 妖怪博士は天井や、庭側の窓の上などを見た。そのあたりから聞こえてくるのだが、特定できない。雨垂れの音だ。
「読経坊が出た」
 共振、共鳴というやつだろう。しかし、低音から高音まで繰り出した見事な読経として聞こえる。言葉はあるようでないが、節回しは、お経そのもの。
「雨音ですよ」
「お経です」
「お経に聞こえますが、これは雨音です」
「いや、読経坊が」
「はいはい」
「博士にも聞こえているでしょ。これなんです。これ」
 妖怪博士は、依頼者の頭は確かかと、一瞬疑ったが、それに同調することにした。それに共鳴したわけではない。
 お経を無料で唱えてもらえる。結構ではないか。
 退治要請だが、依頼者は、何も言わない。ただ、妖怪博士にも聞かせたかっただけかもしれない。
 そのうち、雨はピタッと止まり、お経も消えた。
 そっと、妖怪博士は立ち上がる。帰るつもりだ。これ以上詮索するのをよしたのである。
 依頼者は奥の部屋にある仏壇から、封筒を取ってきた。
「これはお車代です」
 妖怪博士は、間合い良く、すっと内ポケットに入れる。
「奥さんの月命日参りではなく、雨参りですなあ」
「はい、そう思うことにします」
 梅雨が明けたかのような青空が雲間にポカリと見える。
 妖怪読経坊。妖怪博士は、記録に残さないことにした。
 
   了

 

  


2021年7月10日

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