小説 川崎サイト

 

涼の妖怪


 夏は怪談シーズンだが、暑くて妖怪博士はそれどころではない。
 暑くて頭がぼんやりしているわけではなく、逆に妙なところにアクセスする。今までスイッチが入らなかった門が開くように。
 それをぼんやりとしていると言うのだが、その門を潜ると、妖怪がウジャウジャいる。それを妄想と呼ぶ。
 妖怪博士は庭からの風を期待している。庭木が密林状態で、下草も伸び放題。これがフィルターになり、そこを通過した風はひんやりとしている。きっと酸素も多いのだろう。
 しかし、滅多にいい風は入ってこないので、反対側に扇風機を置いている。これはかなり離れたところにあり、いつもいる奥の六畳よりも、涼しい内側にあり、そこからの風を期待しているのだ。
 しかし、屋内そのものも暑いので、生暖かい風をかき回しているだけで、あまり効果はない。やはり、庭からの風が一番。それで、庭に水をまいたりしている。
 妖怪にも種類があり、自然界からのものと、人工物からのものがある。前者は草や木が妖怪化するようなもの。これは妖精とも言われており、太古からいる。
 妖怪博士は町暮らしなので、山や森、川や海辺に出る機会が少ないので、あまりそのタイプには詳しくないが、一寸した自然物があれば、事足りるだろう。庭木でもいい。草ぼうぼうの更地でもいい。昔のように空き地に勝手に入れなくなったが。
 そして、先ほどから妖怪博士が気にしているのは、風。これも自然現象だろう。しかしエアコンがあれば暖かい風、涼しい風が吹き出てくる。
 扇風機から吹く風の妖怪と、エアコンから吹く風の妖怪。それが戦う。そんなことは有り得ない。またエアコンを付けているときは扇風機は消しているだろう。ただ、冷たい空気を室内に広めるため、付けるかもしれない。直接人に向けての扇風機ではなく。
 風の妖怪ではないが、風の神様はいる。風神だ。簡単なことだ。雷神もいる。何でもありだ。
 しかし、扇風機神はいない。自然のものではないためだろう。
 いたとすれば、神の名を騙る妖怪だろう。または神になり損ねた神だろう。しかし、まだ神になっていないので、神になろうとした何かだ。
 そんなことを思いながら、扇風機を回している。期待している庭からの風が入ってこないため。
 そして逆側の表側から入ってきたのが担当編集者。
 暑いのか、かなりバテている。唇の色がいつもと違う。
 編集者は自販機で買ってきたばかりの缶ビールをホームゴタツの上に置く。掛け布団は当然抜いてあるので、ただの木のテーブルだ。
 缶ビールから滴が流れ落ちる。妖怪博士は、そっと缶ビールに指を当てる。ひんやりとしている。
 編集者は既に飲んでいる。冷たい内に。
「暑い盛り、ご苦労なことだ」
「いえいえ、仕事ですから」
「で、何だった。何か頼まれたことでもあったかな」
「夏場ですので、怪談を」
「しかし、それはもう遅いじゃろ。秋の号ではな」
「いいのです。夏の思い出としての怪談を秋にやっても」
「怪談なあ」
「やり過ぎて、流行りませんが」
「ホラーだろ」
「さらに進めてモダンホラーです」
「そこまで行くと、怪談か何かよく分からんじゃろ」
「そうなんです。だから、昔ながらの四谷怪談とか牡丹灯籠などが無難なのです。分かりやすいですから」
「怪談の多くは人が絡む。人がおる限り怪談は尽きぬ」
「でも情緒がありませんねえ。背景が現代では」
「だから時代劇になる」
「そこで強いのがやはり妖怪ですよ。先生。これは何でもありですから」
「しかし、怪談にはそれに近い事実がある。妖怪にはそれがなかったりする。何でもかんでも妖怪化できるが、オモチャのようなもの」
「そうですねえ。何かありませんか。夏物で」
「扇風機」
「はいはい」
「扇風機の風の妖怪はどうかな」
「今風ですが」
「扇子でもウチワでもいい。風が出るもの」
「笛なんかもでそうですが」
「それなら、フイゴの方が効果的だろ。そうではなく、涼むための風」
「はいはい」
「扇風機なのに、急に冷たい風が来る」
「それはおかしいですね」
「そういう風が扇風機から来た場合、そいつは妖怪の風だな」
「扇風機の妖怪じゃなく」
「そうそう。扇風機からの風に混ざって、すっと飛んでくるのだ」
「じゃ、空気の妖怪ですか」
「空気玉」
「空気霊と書けば、それらしいですねえ」
「火の玉もあるのじゃから、風の玉もあっておかしくない」
「はい」
「しかし、弱い」
「冷房効果がですか」
「いや、何のために、そんな妖怪が発生するのかが分からんので、説得力が弱い」
「暑いからですよ。それを望む人の念が扇風機を通じて、冷風の妖怪となって、飛んできたのですよ」
「うむ、いい説明じゃ」
「じゃ、それを使いますよ」
「扇風機にそういう力があればいいのにという程度じゃな。発生の原因は」
「そうですね」
「じゃ、原稿は書かないが、いいかな」
「はい、僕が纏めますので」
 編集者は二本目の缶ビールも飲んでしまった。逆に暑くなったようだ。
 
   了

 



 
 


2021年8月11日

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