小説 川崎サイト

 

有川古道の妖怪


 雨がパラッと来たと妖怪博士は感じたのだが、蝉だった。夏もそろそろ盛りを過ぎる頃だが、まだ真っ盛りの蝉が鳴いている。
 博士は一人山道を歩いている。ハイキングコースから外れているためか、人が滅多に入り込まない小道。これが有川古道と言われている、文字通り、古い道。ここを通る目的が消えたのか、今は廃道。かなり前から廃道だったようで、だから古道の廃道跡。
 ただ一人。これは珍しくはないが、担当の編集者は夏バテで、お供できないらしい。
 この有川古道に妖怪が出るのだが、嘘に決まっている。だから、編集者も邪魔臭いので、取材する気はなかったのだが、他にネタがなく、それを使うしかない。
 一緒に行く予定だったが、起きられないほどへたっていた。それで、妖怪博士は一人で行くことにしたのだが、それなら行く必要はない。
 どうせ、嘘に決まっているのだから、行った振りをして、適当に書けばいい。編集者もそれを進めたが、それでは気が済まないのか、一応行った上で嘘を書くことにした。物事はやってみないと分からない。
 蝉は人がいるところにいるような気がするが、市街地で見かける蝉は街路樹などに多いためだろう。
 山岳部での蝉の分布を調べれば分かることだが、意外と山道沿いに多かったりするかもしれない。
 そんなことを思いながら、妖怪博士は蝉時雨を受けていた。
 有川古道。これは間道のようなもので、バイパスのような近道だろ思っていたのだが、そうでもない。
 神社かお寺のお堂があったようで、古道沿いに建っていた。だから、その古道。目的はそれだったのだ。
 寺か神社か分からないようなお堂で。そういうのがあった程度の記録だけで、実際には何処にあったのかは分からない。
 それを探し出した人がいたようだが、祠程度のものが、古道沿いにいくつかあったとか。まあ、古墳群のようなものだろう。古墳だと分からない古墳もあるのだから。
 つまり、この有川古道沿いは怪しい場所なのだ。何らかの信仰の場、行場だったのかもしれない。
 有川古道は、有川という高くはない峰があり、その山際を通っている。そして旧街道と合流する。
 旧街道は川沿いにあり、そちらを通った方が早いので、有川古道はバイパスではなく、有川峰へ行くのが目的だったのだろう。
 峰の高さはそれほどなく、目立った山ではないが、頂上付近が長い目の台のような山。
 植林はされてなく、自然林に近いのか、色目の違う葉が混ざり合い、紅葉シーズンなら印象派の絵のようになるだろう。
 この有川峰周辺は聖域扱いなので、植林から逃れられたのかもしれない。手を付けると祟りそうな場所だ。
 何かありげな場所なので、ややこしい場所。今は道跡しか残っていないが。
 さて、妖怪。
 これは出てもおかしくないので、簡単に出るだろう。
 それを見た人の報告によると、よくある山の妖怪のコピー。
 または、いくらでもある山の怪のパッチもののような内容ばかり。
 だから、編集者も、これは嘘だと分かるので、積極的ではなかったのだ。
 妖怪博士は有川峰の麓あたりまで入り込んだのだが、繁みが深く、見晴らしが悪い。有川峰の取っつきに二股があり、一方はおそらく山頂への道だろう。片方はそのまま旧街道と合流する本道。
 暑い盛りとはいえ、木陰が深いので、いい感じだ。まるで避暑。しかし、上り下りで汗をかき、結局は暑いが、汗が引き出すとき、ひんやりとする。
 ここまで来たのだから、山頂へ向かう道を選ぶ。妖怪の妖の字もなく、樹木の勢いだけを感じる。もし妖怪がいるのなら、こういう自然物が化けたものか、森の妖精だろう。
 だが、グロテスクな動物の形をした妖怪でないと妖怪らしくない。しかし、山中にそんなものがいれば、大騒ぎだろう。
 山頂へ続く道はきついが、枝道がある。そちらは緩やか。おそらく有川峰を取り囲むように続いているのではないかと思われる。行者が歩くコースだったのかもしれない。
 虫が多い。博士は蚊には何度か刺されている。木の葉に近付きすぎたり、草を踏みならしたためだろう。
 ハエのようなものが妖怪博士の顔にまとわりつく。目に入りそうだ。ブヨだろうか。
 この枝道は、古道とは外れるが、古道に括り付けられた輪のような道だろう。妖怪博士が思った通り、有川峰を回り込むよう続いている。そこに、人が置いたことが分かるような長い目の石などが立っている。既に傾いているが、石柱と言うには短い。それに、もう苔むしており、何が書かれているのかは分からない。
 有川峰信仰。昔はあったのかもしれないが、そういう行場になるような山は全国至る所に出来た時代もあったのだろう。ゴルフ場のように。
 ただ、道を付けるだけで、それ以上弄らないのは自然崇拝と関係しているためだろうか。
 有川峰を一周する小道は意外と上り下りが多い。そこにしか道を付けられなかったのだろう。峰の根本なので沢の底にいるようなものなので、かなり涼しい。
 半周したあたりで博士は枝道を発見。笹が少し切れている程度だが階段のようなものが付いている。ほんの数段。これはただの石だが、人が作ったもので、頂上へと向かっているのだろう。
 少しだけ足を踏み入れると、すぐに階段は消え、急坂。これは手を付くか、何かを握らないと無理。ここは上級者向けなのかもしれない。それに登り口としては裏側。表側からなら登りやすいかもしれない。
 頂上といっても細長い峰なので、どこが一番高いところなのかが曖昧。お堂の敷石程度が残っておれば、それと分かるが、その規模のものは作らなかったのかもしれない。山がそこにあればそれだけで十分という感じ。
 それに今から登ったのでは帰りが遅くなるし、その体力もないので、麓を一周するだけで、博士は終えようとした。古道だけで済ませてもいいのだから、この小道はサービスだ。
 それで周回コースの出発点に戻った妖怪博士は、そのまま有川古道の続きを歩いた。
 妖怪らしきものは出現しない。当然だろう。しかし、こういう人が入らないような山の中は、何かいそうな雰囲気は確かにある。それを山の怪として色々な怪異があることはよく知られている。昔の話ではなく、現代でも起こっているらしい。
 この有川古道で、そんな現象があっても不思議ではない。色々なものを見間違えたり、道が分からなくなり、同じところを、何度も何度も回っていたりとか。
 それほど大きな鳥でなくても、大きな声で鳴きながら、飛び立てば、バケモノのように感じるかもしれない。風で草や葉が揺れ、まるで、何かが移動しているように見えてしまう。
 そんなこともないまま、妖怪博士は古道と旧街道が合流するところまで来た。その旧街道、細いながらも舗装されている。川際に沿った道だが、ガードレールもあり、今の道路だ。
 しかし、車は見かけない。こんなところを通る用事がないのだろう。
 その旧街道から古道へ入って来る人がいる。そこで妖怪博士は行者のような人と出合った。まだ有川峰は現役なのだろうか。
 その人、僧侶でもなく、山伏のような格好でもなく、仙人のような格好。薄布をまとっているだけで、東南アジアにいそうな僧侶に見えるが、それらよりも貧弱。
 かなり昔の山岳信仰時代を思わせるような行者だ。
「これから山へ?」
「そうです。あなたは戻ってこられるところですね」
 山中をウロウロしていたので、人を見て妖怪博士はほっとしたのだろう。あまり人には話しかけない博士だが、その行者を見て、声をかけやすい雰囲気があった。
「妖怪が古道に出ると聞いたのですがね。ご存じないですか」
「御山ですし、ここは霊山、出てもおかしくはありません」
「あなたは、見られたことがありますかな」
「山の怪なら始終体験していますよ」
「そうですか、私は何も感じなかったし、当然何も見ませんでしたよ」
「それはご苦労なことで、あなたはそちら方面の研究家ですか」
「まあ、そうですが」
「しかし、専門家が調べても、いなかったと」
「しかし、私はそういうカンが働かないもので」
 行者は、じゃ、これで、と古道に入っていった。
 そして、その後ろ姿を、じっと妖怪博士は見ている。
 古道に出る妖怪とは、あの人ではないかと。
 すっと、そこで姿が消えればそうだが、後ろ姿が小さくなるだけで、消えなかった。
 妖怪を目撃したと投書したのは今の行者ではないか。
 旧街道の先に村がある。バス停があることを知っていたので、そちらへ妖怪博士は向かう。
 バスはすぐにやってきて、一番近い駅まで行く。バスに乗った瞬間、眠気が襲ってきた。暑い中、かなりの時間山道を歩いたので、疲れたのだろう。
 
 それから数日後、担当編集者が来た。
 夏バテは治ったようだ。本来なら同行していたはず。
「どうでした博士」
「ああ疲れたよ。収穫なし」
「妖怪はいなかったのですね」
「行者に出合っただけ」
「そいつが妖怪でしょ」
「そのようには思われなかったが」
「最近の妖怪は巧妙ですからねえ、妖怪だと分からない姿で出るとか」
「うむ、勉強になった」
 妖怪博士が不思議に思ったのは、その行者と偶然出合ったことだ。
 それだけが少し気になったが、彼を妖怪に仕立てるには、少し苦しいので、この調査はなかったことにした。
 
   了




2021年8月14日

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