小説 川崎サイト

 

濡れ鼠


「雨はどうだ」
「まだ降っています」
「風はどうだ」
「まだ吹いています」
「強さは」
「強いです」
「煽られるなあ」
「はい、傘が松茸になります」
「出られんなあ」
「カッパなら、行けますが」
「それは着たくない」
「靴も濡れますし、靴下も濡れます」
「カッパに長靴か」
「はい、それなら多少の雨風でも行けますが、如何しましょう」
「用意しているのか」
「ありません」
「どうせそんなものは身に付けんからなあ。いらないものだ」
「どう致しましょう」
「火急の用だろ」
「はい、すぐにでも来て欲しいと」
「分かった。覚悟する」
「雨の中、行きますか」
「急ぎの用なら行かねばならんだろ」
「で、何を用意すれば」
「いらん」
「傘もカッパも」
「このままでいい」
「濡れますが」
「だから、覚悟した。着替えればいい」
「じゃ、着替えを用意しましょうか」
「荷物になる。それに、そんなもの、持ち歩けるか」
「そうですねえ」
「でも濡れ鼠で、先方と会われるのは如何なものでしょう」
「それほど目立たん。帽子を被れば、問題はない」
「でも下まで濡れるかと思いますが」
「分からん。少し色が変わる程度」
「はい、では、お気を付けて」
「うむ」
「あのう」
「何だ」
「タクシーを呼びますか」
「乗り降りのとき、どうせ濡れる。それにわざわざ歩いて行ったことが大事」
「そうですねえ」
「これは台風か」
「聞いていません。台風じゃないと思います」
「しかし、風が強いのだろ」
「はい。かなり強いです」
「何だろうねえ」
「台風でなくても、風の強い日はいくらでもあります」
「風だけ、雨だけ、どちらかにしてほしいなあ」
「そうですねえ。やはり、出ない方がいいのでは」
「いや、もうその気になっておる。覚悟を決めたのでな。覚悟の空振りになるので、覚悟が覚める前に出掛ける」
「私が代わって行きましょうか」
「私に用があるので、君では駄目だ」
「はい」
「ではお気を付けて」
「うむ」
「あのう」
「何だ」
「私も付いて行きましょうか」
「濡れ鼠は一匹で十分」
「そうですね」
「嵐を突いていく。先方も、満足だろう」
「はい、できるだけ濡れて下さい。足りなければバケツで水を被って下さい」
「そんなバケツ、どこにある」
「そうですね」
 
   了





2021年8月16日

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