小説 川崎サイト

 

施餓鬼


「餓鬼が出ました」
 目がまん丸な人がさらに大きく見開いて妖怪博士に語り出した。
「始めは大きなコオロギだと思いました」
「いやいや、それだけも大変なものが出現したことになりますよ。茶碗ぐらいの大きさですか。それとも丼茶碗ほどの大きさ」
「ラーメン鉢ほどです」
「餓鬼ではなく、コオロギなのですか」
「近くにいると大きく見えるので、大きさはよく分かりませでした。何せ夜中の畳の上」
「それがコオロギではなく、餓鬼だと分かったのですな」
「そうです。手がありました。腹が怖いほど大きく、蜘蛛かと思ったほどです。しかし、二足で歩いているのを見たとき、これは絵物語に出てくる餓鬼ではないかと解釈したわけです」
「それなら、それなりに大きいでしょ。子供ほどの背はあるはず。大人の身長としては低い目ですが」
「大きさはよく分かりませんが、それが部屋の中を行ったり来たりしているのです。また、隣の部屋へ入ったり、家の中をゴソゴソと歩き回っているのです」
「凄いものを見られましたね」
「妖怪です」
「いや、餓鬼は妖怪ではなく、鬼の親戚でしょ」
「鬼も妖怪じゃないのですか」
「まあ、そのあたりは曖昧ですがね。で、その小柄というか小振りの餓鬼に心当たりはありませんか」
「施餓鬼をやっていました」
「じゃ、供え物を食べに来たのでしょ」
「でも食べないで、ウロウロしていました」
「しかし、最初見たとき、コオロギだとおっしゃいましたが」
「まさか餓鬼が出るとは思いませんでしたから」
「一匹ですか」
「はい」
「餓鬼は妖怪じゃなく、生まれ変わりとされています。六道の中に一つ。下から二番目です」
「知ってます。一番下が地獄道でしょ。地獄よりもまし」
「しかし、時代がねえ」
「はあ」
「飢えと渇き。食べるものと水。それを満たせない苦しみ。果たして、今はこの国ではどうなんでしょうねえ」
「はあ」
「だから、施餓鬼をしても、今どき餓鬼が来るでしょうか」
「だからこそ妖怪なのですよ、先生。もう供養もいらない。食べるものもいらない。水もいらない。違うものになっているのです。何かに飢えただけのバケモノ。だから妖怪です。施餓鬼棚を出しているのに、家の中をうろついている。だから、縁の下にいるコオロギが上がってきたのかと思いました」
「あなたの方が、解釈が上手い」
「有り難うございます」
「それで退治してくれと言うことですかな」
「はい、餓鬼供養をしていても効かないので」
「でも呼んだのでしょ。餓鬼を」
「はあ」
「でも、餓鬼を慰めるあなたの態度がいいので、餓鬼は特に何もしないでしょ。コオロギだと思えばいいのです」
「最初から、コオロギだったりして」
「そうなんですか」
「餓鬼と重なって見えたので、それを誰かに言いたかったのです」
「ああ、そうでしたか。でも本当に餓鬼がいると仮定したとしても、見えないと思いますよ。お盆で帰って来られるご先祖さんが見えないように」
「はい、了解しました」
 まん丸い目の人は、目を細めて退散した。
 
   了



2021年8月24日

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