小説 川崎サイト

 

おかめうどん


「晴れるかと思っていましたが、雨ですなあ」
「朝、陽射しが少し覗いていましたよ。青空も、ほんの少し」
「足りなかったのですな。それで雲で埋められてしまった」
「そうですねえ。今はもう真っ白」
「当てが外れましたよ。晴れるかと思い、出掛けるつもりでした」
「ここまで、出て来られたじゃありませんか」
「ここは一寸雨でも一寸歩けば来られる距離。そうじゃなく、もう少し遠い場所」
「どちらですか」
「一寸電車に乗って、見知らぬ町で降りて、ぶらり散歩です」
「じゃ、特に用事はないのですね」
「その散歩が用事」
「雨で中止になってもかまわないわけでしょ」
「そうですなあ。まあ、行かなくてもいいことなので」
「でも行く気でいたのでしょ」
「晴れかかっていましたからね、朝は」
「一瞬でした」
「読み違えた。それが残念。当たるのですがねえ、いつもなら」
「天気予報を見た方が早いのでは」
「それじゃ、反則じゃ」
「天気予報を見るのが反則なのですか」
「私のやり方に反する」
「見なくても当たるのですね」
「大凡はね。しかし、誰でも分かるようなことですよ。しかし微妙なシーンは分かりにくい。今朝のようなね。冷やかしの晴れ。あれには騙された」
「僕はそんな予測はできませんが、天気予報は見ません」
「おお、それはいいことだ。予報に引っ張られたりするのは面倒ですからね。現実を見て判断しても遅くはない。明日のことなど、明日になってからでも遅くはない」
「はい、雨でも晴れでもそんなものかと思う程度ですので、あまり影響はありません。でも雨の日に散歩には行きませんが」
「私もです。しかし、行く気でいたので、その思いが残ります。これは出し切った方がいい」
「じゃ、行かれるのですか」
「小雨でしょ。これが本降りなら無理ですが、この程度の雨なら情緒の雨。涼しくていいかもしれませんよ。見知らぬ駅に降り、傘を差しながらとぼとぼ歩く。意味もなく、目的もなく、彷徨、逍遙。そういう時間と空間を過ごすのも悪くはないのです」
「はい、そうですねえ」
「夏とはいえ、雨でひんやり、これは鍋焼きうどんが食べたいところ。駅前のひなびた食堂で、それを食べたい。店により、土地により、鍋焼きうどんが違うのです。どう違うのかは、行ってからのお楽しみ」
「秋の終わり頃にならないと、メニューにないのでは」
「おおそうじゃ。それを忘れていた。何度かそういうことがあったのに、学習しておらん。まあ、なければ普通のうどんでいい。おかめうどんがいいなあ。しかし、ない店がほとんどだ」
「何ですか、おかめうどんって」
「大きな蒲鉾が二枚入っておる。並べてな。板付きのところを下にして並べると、切り口が目に見える。笑っているように見えるんだ。その顔がおかめに似ておる」
「おかめって何ですか」
「お多福だよ。丸顔で鼻が低い。頬が大きい」
「そういう人の目元に似ているのですね」
「洒落てるだろ。蒲鉾も厚く広く切ってある。これは値打ち物だ。ただし本物の蒲鉾に限るがね」
「でも、ない店が多いのでしょ」
「殆どない。そうなると素うどんだ。しかしネギと、薄い蒲鉾程度は乗っている。あとは七味唐辛子の味を楽しむ」
「それなら、何処の食堂にもありますねえ」
「いや、うどん屋なのに、素うどんがなかったりする店もある」
「あ、はい」
「まあ、どうでもいいことだがね」
「そうですねえ」
「じゃ、私は行くとする」
「雨が降っているのに」
「どうでもいいことだからできるんだよ」
「はい、お気を付けて」
 
   了



2021年8月25日

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