小説 川崎サイト

 

余計な検証


 一日で済むことを、広田は三日でやった。三日かかることを一日でやったのなら凄いのだが。
 その一日の中の僅かな時間でできることだが、少し面倒なことで、普段はやっていないこと。だから不慣れ。
 一日中かかることではないので、一日でできてもそれほど凄いことではない。
 三日に分け、三日に薄めたのは、自分の時間が減るため。全てが自分の時間なのだが、その中のいつもやっているような日常事が削られるのを嫌った。
 それで負担は減ったが、一日だけでは済まない。三日かかる。三日もそれをしないといけない。果たしてどちらが良いだろうか。
 一日で終えれば、そのあとは解放される。プレッシャーやストレスがなくなる。しかし、広田は三日を選んだ。四日でも良いが、三日と言うより、三回すれば終わること。一日目のことを二日続けてやれば良い。三日目には、少しは慣れてくるだろう。だから、初日よりも楽。
 二日目はやや楽、三日目はかなり楽。薄めただけではなく、慣れが加わるので、そうなる。
 これを何かに応用できないものかと、広田は考えた。しかし、何故薄めたり分けたりする発想になったのかを検証すべきだろう。
 検証。そんな大したことではない。一日目、やり始めたのだが、途中でしんどくなったため、翌日に回しただけ。その翌日も、早く楽になりたいので、さらに翌日に回しただけ。何の知恵もない。
 あるとすれば、身体とか頭とかが、もうしんどいと言っているのを聞き取っただけ。知恵を巡らしたわけではない。
 だが、結果的にはこれがよかった。こういうこなし方があることを知ったというより、体験した。
 だが検証すべきは、一日だけの嫌事を、三日も引き延ばしたこと。三日間縛られたことになる。
 果たして、どちらが良いのか。こここそが検証目的なのだが、済んでしまえば一日でも、三日でも大して変わらない。
 得たかったのは自分の時間。しかし、やらないといけない用事があると、それなりに一日が引き締まる。だから三日間、シャキッとしていた。それほど緊張すべき問題ではないのだが。
 日常の中に取り込まれていることと、取り込まれていないことがある。日常外というか、普段はそんな用事などない。これはあっても不思議ではない。日常的にはないが、よくあること、たまにあることだろう。
 それで得たかった自分の時間、フリータイムだが、その中味は大したことではない。普段、毎日やっているような過ごし方だが、そこは自分の世界。
 その時間が別の用事で削られても、大したことにはならないのだが、過ごし方が違う。これは良いことでも悪いことでも同じ。
 良い事でも早く済ませたい。そして、予定されている良いことでも、実際にはそれほどでもなかったりするし、嫌事だと思っていることでも、やっていると、結構楽しかったりする。
 だから、検証など必要ではないので、広田は、そのことは、そのまま捨て置くことにした。
 
   了




2021年8月28日

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