小説 川崎サイト

 

新鮮な目覚め


 暑さがおさまってきたので、植田は我に返った。それまでの植田も、植田なのだが、よりクールな植田に返った。この状態はホームではなく、いつもの植田ではない。しかし、植田はいつもの植田で、植田以外の何者かではない。
 暑さが消えたので、クールダウンし、冷静になったのだろう。それを我に返ったと植田は言っているのだが、ここは帰るべき家だとは限らない。しかし、たまに我に返る。
 我に戻ることがある。だが、常の状態ではない。戻ったときの植田が果たして、ここだったのかとなると、違うような気がする。
 家は不動産だが植田は動産。別に財産ではないが、かけがえのないものだろう。それがなくなると植田が消えてしまうので。
 夏の終わりがけ、目覚めると涼しくなっていた。そして身体も頭も涼しい。まるで生まれ変わったように。
 先ほどまで寝ていたので、これは毎朝思うこともあるが、その朝は特別。やはり季節の変わり目なので、新鮮さが違う。
 今、植田は何処にいるのかと、考えてみた。植田が寝ている部屋だ。これは動かしがたい現実で、当たるも当たらないもない。正解だろう。それ以外の答えはない。
 しかし、一晩寝ると、昨日の植田とは、少し違う。夏場はその違いを感じなかったが、今朝は違う。つまり植田本体は今どんなところを歩いているかだ。まだ横になったままなので、歩行はしていない。歩くとすれば、このあと、トイレに行くときだろう。しかし、そういう状態を言っているのではない。
 目先の行動はそんなものだろう。そして状況だが、これは夏を越したようなもの。これは頭ではなく、身体に来る。いつもなら起きたとき、汗ばんでいるのだが、それがない。空気も違う。
 そうではなく、過去、どうだった。先々はどうだろうという人生規模の話をしないといけない。しかし、寝起きなので、そこまで頭は回転しない。かなりベタだ。
 涼しくなったので助かった、ということや、夏バテしないでここまで過ごせたということとかで、人生がなかなか入ってこない。
 確かに夏場も人生をやっていたが、特に変化はなかった。日常の些細事や、起こるようなことが起こっただけで、植田の人生にとって、さしたることではなかった。
 現実が常にある。これが消えると怖いだろう。この現実は具体的なことだ。蒲団があるように、枕があるように。
 そういう当たり前のことでも疑えばきりはないが、そんな必要も、用事もない。
 ただ、現実は変化する。植田と関係のないところで変化する。植田が加えた変化もあるが。
 枕カバーがいつの間にか汚れていたり、枕の中のそば殻が片方に寄っていたりする。枕も変化している。座布団もそうだ。
「そうだ。枕カバーと座布団カバーを買わなければ」
 新鮮な朝、人生規模の頭を使っていたのだが、結局は、それだった。
 これは、健全だろう。
 
   了

  


2021年9月3日

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