小説 川崎サイト

 

妖怪の間


 昔の商家が残っており、それを買い取った。店舗として使うのではなく、住もうというのだ。その人は実業家だが、既に引退している。もう事業はいいので、自分の時間を過ごしたいと思い、手に入れた。隠居屋敷といってもいい。
 売り出されたときは既に修理は終わっており、いつでも住める状態だった。
 昔はそのあたり、町家と言われていた一角で、江戸時代末期の商店街のようなものだが、昭和の初め頃まで続いていた。
 今は殆どが取り壊され、僅かに残っているだけ。ただ規模が小さく、商家らしさがないことから、指定は受けていない。
 黒田というその人が、そこを隠居屋敷として使っているのだが、屋敷というほど敷地は広くはない。ただ、造りは昔のまま。
 その黒田氏が妖怪博士宅を訪れ、妖怪部屋があることを伝える。
 黒田氏によると、一つだけ訳の分からない部屋があるという。窓はなく、押し入れのような部屋だが四畳半はある。
 母屋の真ん中にあり、家長の寝所の隣。この寝所は蒲団を上げれば家長の居間のようなもの。
「控えの間としては奥にありすぎますなあ」
「商売人が住んでいた家なので、そんな大層なものではないと思います」
「じゃ、蒲団部屋」
「いや、家長の寝所横にそれはないかと」
「部屋数は多いのですかな」
「それほどでもありません」
「何故妖怪部屋なのですかな。出ましたか」
「何のためにあるのかが分からない部屋なので、何かいそうな気がしまして」
「母屋の真ん中あたりにあるのが気になりますなあ。一度調べてみましょう」
 黒田氏はタクシーで来たようで、帰りは、拾えそうな場所がないので、妖怪博士宅の路地の入口に止めてある。
 そのタクシーに乗り、妖怪部屋があるという商家へ向かった。
「どうして、私のところに来られたのですか」
「京大の西田鬼太郎先生に言われまして」
「ああ、そうですか」
「妖怪博士なら、調べてくれるはずだと」
「そうですか。それで、西田先生はお元気ですかな」
「もうかなりのお年ですから」
「そうでしょうなあ。民俗学の権威です。それと生物学にも造詣が深い」
「幾何学にも強いとか」
「それは形而上学の誤りでしょう」
「そうでしたか」
 それで、妖怪博士は、古い商家だった屋敷内をウロウロした。主に間取りを見ていたが、やはり母屋の真ん中に、妖怪の間がある。そう決めたわけではないが、黒田氏が名付けたので、そう呼ぶことにした。
「これは家神様でしょう」
「庭に、祠を建てて、そこで祭っているのは聞いたことがありますが、母屋のど真ん中ですよ」
「何にも使わない部屋。おそらく、家具などは置かなかったはず。それと、入口はあなたの部屋からしか入れない。武家屋敷なら、武者隠しのようなものとして使えたかもしれませんが、商家なのでね」
「じゃ、昔は祭っていたのでしょうか」
「いや、何もない部屋。それだけでよかったのでしょう」
「しかし、何かいるような気配が夜中にしました」
「じゃ、家神様、または屋敷神でしょ」
 寝所と妖怪の間は板戸で仕切られているが、押し入れの戸のようにも見える。
「まあ、武者隠しじゃありませんが、家神様は守り神。だから、位置としてはいいのでしょうなあ」
「分かりました。珍しい間取りなので、気持ちが悪かったのですが、家神さんなら、大歓迎、妖怪が湧き出す部屋でなくてよかったです」
「いや、似たようなものですよ。妖怪も神様も。まあ、家に棲み着いた神様なので、ヤモリのように守ってはくれるでしょ」
「はい、有り難うございました」
「タクシーを呼びます。電話します」
「いえいえ」
 妖怪博士はタクシー代が欲しかったわけではない。
 戻り道、タクシーの中で、その部屋、本当は何なのかと妖怪博士は色々と想像してみた。
 きっと建てた人の何か固有のことで、作ったのかもしれない。
 
   了


2021年9月9日

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