小説 川崎サイト

 

素人


 気を抜くと素に戻り、地に戻る。地金が出る。
 素人とはプロではないという程度に考えると、専門家ではない。その専門にもよるが、それは身に付けたものがなければ専門家にはなれないが、なれることもある。ジャンルにもよる。
 素人とはそのジャンルでは素のままの人だともいえるが、専門家裸足の素人もいる。プロとアマチュアの差が曖昧になり、またアマチュアでないとできない専門的なジャンルもある。
 草加は、そういう大袈裟なことではなく、職業とか、専門家とかではなく、生き方に関して、素人なのだ。しかし、人生を経るうちに、色々と型が出て来るもので、いずれ、その人らしい身動きになる。
 別に運動をするわけではないが、仕草とか、態度とか、または物や人や自然などに対しての接し方だろうか。
 これは磨かれていく。しかし、草加は磨かれていないので、原石に近い。だから素に近いままで、地金が見えていたりする。メッキでもいいので、何かを塗れば、それなりのものになるのだが、塗っては禿げ、塗ってははがれ、また、痒いのか自分でかいて消してしまったりする。
 草加は子供の頃から、色々な人の影響を受けている。誰もがそうだろう。その影響を調整したり、整理したりするのだが、草加は切り替えるタイプ。誰かの真似をするのだ。
 そして考え方も態度まで、そういう芝居をやる。だから、数年前と接した人なら、同じ草加なのだが、かなり違っているのが分かる。
 経験から得た蓄積ではなく、役だけを変えるようなもの。だから、草加は役者なのだ。芝居の舞台に立つわけではないが。
 色々な人の影響を受けているのだが、自分自身の影響はなかったりする。影響なので、影のようなもので、よく分からないだけかもしれないが。
 武士についての話を聞き、これだと思い、武士っぽい態度で数ヶ月過ごしたりするかと思えば、ヨガの本を読み。行者のような態度で二ヶ月ほど過ごしたりした。どれも気持ちの上だけで、実践したわけではない。
 たまに何も乗り移っていない時期もある。麻酔、魔法が切れたのだろう。そのときこそ草加の世界なのだが、ただの凡人。
 実は、この凡人が草加のベースなのだが、それに気付かない。そこから離れたところへ行きたいのだろう。
 しかし、戻ってくる。だが、すぐに別のものが乗り移る。よく考えると、これは趣味のようなものかもしれない。服装を変える程度の。
 そして長く自分ではないような人の真似をし、さらにその数が多いため、かなりの経験を得たことになる。草加は気付いていないが、あとになるほど極端なものではなく、いい線を行くものを真似るようになった。これが成果だろうか。
 そして、元の木阿弥ではないが、素の自分も満更悪くはないと思いだした。この素の自分、地金が出た状態、これも長い年月で、それなりに磨かれているのだろう。草加は気付かないが。
 
   了

 


2021年9月17日

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