想像と現実
予想していたことと現実が違っていることがある。予想も想像も、似たようなものだが、事柄が違うのだろう。
細かい違いではなく、予想通りになるとか、ならないとか。有るか無いかなどの大枠なら、予測できる。また、有るともいえず、無いともいえない場合も予測できる。細かなことは無視して。
現実とは実際に起こったことだろう。また、起きそうな現実もある。まだ起こっていないが。
起こったことが現実。しかし、想像も現実だろう。現実に、そう想像したのだから。だが答えはまだ分からないので想像内での現実。
期待していたのに、現実は違っていたとかもある。期待は想像。しかし大きく外れることはないはず。逆に期待以上というのもある。
期待しすぎると、解答である現実が大したことはなかったとなる。
また、大したことはないだろうと蓋を開けると、かなり良いものだったりする。ものは同じだが、期待していなかった点が違う。想像する現実があるからだ。
さらに、何も知らないで、予想さえしないで、蓋を開けることもある。このときは期待も想像もしていないので、いきなりだ。しかし、いきなり蓋を開けるようなことは滅多にないだろう。開ける手前で想像したりする。
現実は起こってみないと分からないが、大概はある程度予測していたものだ。だが、用もなく蓋を開けないが、突発的に蓋が勝手に開いてしまうこともある。偶然だろうか。
予測や想像、憶測などをしないで、現実と接するのは突発的偶然でない限り、滅多にないが、思わぬ行為もある。予定にない行為だろう。
無作為の作為もある。考えてからやらないといけないのに、考えないでやる。無作為にカードを選ぶようなもの。
予想はできない。何が飛び出すかは蓋を開けてみないと分からない。丁と出るか半と出るか。
考え抜いて選んだものよりも、無作為に適当に選んだものの方がよかったりする。想像にはなく、予測にもないものなので、新鮮な気がする。
これでもいけるのではないかとか、または、こんな手もあったのかと教えられたりする。当然偶然の賽の目なので、スカも多いが。
想像と現実は違う。それを繰り返し繰り返しやっていると、詰めていけるのかもしれないが、状況が変わり、本人も変化していくので、スカがアタリになったり、アタリがスカになることもあるだろう。
ただ、無作為に、アテモノ、クジを引くように、選ぶことも悪くはない。何かをかき混ぜてくれる。
了
2021年9月21日