小説 川崎サイト

 

駅前狸


 オフィス街から近いターミナル駅周辺。大都会だ。人が行き交う。どっと沸き、どっと引いていくのだが、今は満潮時期なのか、歩道も通路も人が多く、肩と肩がぶつかりそうになるのだが、それなりに上手く避けてすれ違ったり、また追い越すときも、いい間合いで通り過ぎる。
 しかし、田宮は後ろの人の間合いが狂ったのか、背中に何かが触れた。人だろうというのは分かっている。こんなところに狸は出ないし、誰かがものを投げたわけではないだろう。少しぶつかる程度は普通のこと。
「失礼」
 後ろの老人が、そういいながら、さっと追い越したのだが、すぐに振り返り、田宮を見た。
 老人はじっと見ている。それで、田宮の足が止まったので、今度は本当に後ろの人と接触した。流れていると誰もが思うだろう。こんなところで、立ち止まらないと。
 田宮はその老人の横をすり抜ける。すると、今度は老人に後方の人が迫ってくる。それで、老人も田宮の後に続いた。
 通路の左側に寄ると、抜けられる枝道がある。狭い。トイレが奥にあり、通り抜けることができる。田宮はそこに入った。老人も続いた。
「何か用ですか」
「ここへ行きなさい」
 老人は紙切れを田宮に渡した。最寄り駅が書かれた地図。
 老人はそれを渡すと、狭い通路から、本筋へ戻り、田宮の視界から消えた。人の流れを横から見ながら、どういうことなのかと考えながら、地図を見た。知っている町であり、知っている駅。降りたことはないが、下町。だから、ここからは少し遠いし、また田宮の帰る町とは九十度ほど違うが、行ってみることにした。
 最寄り駅から目的地までは歩いて四十分ほど。これは家賃が安そうだ。
 そんなことを思いながら、地図通りに、印の付いた場所へ行く。周囲は住宅地。少し古いが、くたびれているだけ。
 目的地は、さらにくたびれた二階建ての長屋のような感じだが、窓の数や配置などから昔の下宿屋か、風呂のないような安アパートに近い。六畳一間だったりするが、それなら、かなり昔のものだ。その周辺の家に比べ、時代差がありすぎる。二時代ほど古い。
 しかし、アパートの敷地はそれなりに広く、自転車置き場もある。一台、止まっているが、錆びだらけ。その周辺は草ボウボウ。
 これは廃屋ではないかと田宮は単純に判断した。妥当だろう。
 自転車置き場の奥に入口がある。古臭い玄関で、横開き。それを開けると、ガタピシとゴマがレールを走った。砂が混ざっているのか、ざらつきが手に伝わる。
 下駄箱があり、長い廊下が奥まで延びている。ここで履き物を脱ぐようになっている。靴下が汚れそうだが、意外と綺麗だ。掃除する人がいるのだ。
 二階への階段も確認できる。
 地図では、その建物の五号室となっていた。
 部屋は左右に分かれており、突き当たりに共同炊事場がある。トイレもその近くだろう。
 右から順にドアを見ると、汚れてよく見えないが、号数が確認できる。取っつきが一号室で、隣は二号室だろう。五号室は中程にあった。
 田宮がドアをノックすると、どうぞと返事があったので、ドアを開ける。やはり一間だ。
 窓際に机があるのか、その前に人の後ろ姿。座っている。座布団の中央部から尻がややズレている。正座ではなく、胡座でもない姿勢。
 老人はすぐに振り向いた。
 先ほど見たあの老人とそっくり。しかし、服装が違う。
「兄貴、元気でしたか」
「あ、はい」
 兄弟なのだ。
 田宮は事情を話した。
「ははは、兄貴らしい。自分で来ればいいのにね」
「あ、はい」
 田宮の知らない事情が兄弟にあるのだろうが、それ以上関わりたくないので、さっさと部屋を出た。
 ビジネス街近くのターミナル。狸はいないはず。
 
   了

 


2021年9月25日

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