小説 川崎サイト

 

道端の人


 夏冷えがあれば、秋冷えもある。温度が少し違うのだが、夏にしては涼しい、秋にしては寒い。
 冬冷え、これはそのままだろう。逆に暖冬の方をよく使う。
 下田は、そんなことを思いながら、秋晴れの日中、歩いていた。暑いほどで、秋冷えなど微塵も感じない。夏が戻ったようなもの。
 昼間暑いと、逆に夜になると寒く感じるかもしれない。曇っている日は昼間も夜も似たようなものだろう。
 下田はよろよろと歩いている。これはふらついているわけではない。後ろから来た人が見ると、右側へ寄ったり、左側へ寄ったりで、狭い道だと、後方が自転車なら、ハンドルの切り方に迷うはず。
 左へ寄りかかったなら、右側から追い越そうとなる。それが左右に振りながら、下田は歩いている。最初から左端とか右端を歩いておれば問題はないのだが。
 そんな歩き方をしているのは、左側に気になるものがあるので、寄ろうとするが、大したものではなく、黒いビニールの欠片がひらひらしていただけ。カラスでもいるのかと思ったのだ。そして右側の道沿いの草を見る続きをやるため、右側へ寄る。
 後ろからだと、フラフラしているとしか思えない。ビニールの欠片など、見るに値しないものだろう。だから、下田がそれを見ようとしていたことなど、分からない。
 路肩に草が生えており、そこにサバの缶詰の空き缶が覗いている。どうしてこんなところにあるのだろう。昔なら缶蹴りの缶だとすぐに分かるが、そんな遊びをする子供などいないだろう。鬼ごっこはするが、缶蹴りではない。
 さて、下田は何をしているのだろう。これは散歩だが、少し癖がある。地面に落ちているようなものばかり見ている。
 下田の散歩コース。それは毎日なので一般風景は見飽きた。それで、路面の人になった。これは落ちているものを探す楽しさがある。ただ、コースを離れてまでは探さない。目に入ったものを見るだけ。
 野放しの犬なら、つまらないものをくわえて戻ってくることもあるが、島田にはそれはない。一寸した変化を楽しむ程度。
 ただ、札束でも落ちておれば拾って帰るだろうが、そんなことは先ず有り得ない。そんな目に付くようなところに落ちておれば、先に誰かが拾うだろう。
 一円玉は拾わない。五円玉も。十円玉は拾う。一円の場合、その労力に合わない。五円もそうだ。そして意外と五円玉の使いどころがあまりない。
 穴が空いているので、銭形平次のように、穴に紐を通して、投げ銭ができるかもしれないが、そんな用事は先ずないだろう。誰に投げるのだ。
 そういった雑念を楽しむのが、下田の散歩。少し日常の用を離れるだけでもいいのだろう。
 
   了


 


2021年10月8日

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