小説 川崎サイト

 

空日


 今日は何か空白のような日に思われる。空日。休日はあるが、空日などはない。高峯の造語だ。起きたときから、そんな感じで、何か頼りなげない。軸のようなものがないのだ。
 まあ、目覚めた瞬間はそんな感じだが、それでもすぐにいつもの高峯が起動するだろう。その起動が遅いのかもしれない。または、内部で何か処理でもしているのか、遅い。
 軸のようなもの。それは高峯の暮らしの中にあるメイン線だといってもいい。本線だ。起きたとき、別の線に乗ってしまったのかもしれない。ひどくローカルな路線に。
 その先は何もなかったりしそうが、そういう感じは冗談だとしても、間の抜けたような出足だった。
 休日は身体を休めたり、頭を休めるのだが、空日は高峯が休み。高峯そのものが休み。ただ、それでは無理なので、薄い目の高峯になっているのだろう。希薄な高峯。これはあまり自分のことを意識しない状態に近い。
 または昨日まで、あれこれやっていたことを、少しだけ中断する。こちらの方が空日にふさわしい。しかし、そんなものはないので、高峯が覚える感覚程度。
 今日はそれで、何も残らないような、何も起こらないような日になるような気がした。あってもないような日。まあ、かなりの時間、寝ていたとすれば、そんな空日は生じるだろうが、ずっと寝ているわけではなく、たまに目も覚めるだろう。トイレにも行くだろうし、寝ている間に見た夢を起きたときも覚えておれば、何もない一日ではない。
 この空日、憑き物が落ちて、軽くなったときに近い。そんな経験は高峯にはないが、物に憑かれたように熱中することはある。それが冷めたときの状態。
 安息日でもないし、停戦日、休戦日でもない。おそらく一日だけの話だろう。または起きてしばらくすれば戻る、目覚めだけの話かもしれない。
 やはり一瞬に近かったのか、しばらくすると、いつもの高峯に戻ってきた。ローカル線から本線に入ったのだろうか。
 この不思議な体験を誰かに語ろうと思ったが、よくあることなのかもしれない。
 
   了


 


2021年10月16日

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