小説 川崎サイト

 

青いモミジ


 その年、夏は冷夏だったが、秋半ば頃から暑くなり、夏が戻った。ここで暑さを取り返しているのだろう。
 岩倉はまだ青いモミジを見ている。色付くにはまだ早いが、寒色系から暖色系に先っぽから徐々になる時期が好きだ。
 そのモミジは神社の境内にあり、高い木ではないが、その前を毎日通っている。モミジまでの距離は少しある。モミジよりも奥の社殿の方が目立つのだが、その時間、丁度逆光。後ろからの光線でモミジの青さが輝いているように見える。
 岩倉はモミジに近付くが、距離間が変わり、当然大きく見える。さらに近付くとさらに大きくなるが角度が変わるため、横から見ていたのが下から見ることになり、後ろからの照明が当たらない。それで、青々とした輝きが消える。
 近付きすぎたのだが、近くでよく見たかったのだろう。確かに遠くからよりも大きく見えるし、細部まで見える。ただ、遠くから見ていたときの輝きは消えている。
 これだな、と岩倉は悟った。部分悟りだ。ピンポイントの悟り。しかし、日常いくらでもある感覚のようなものだろう。ただの豆知識のようなものだが、最初にそれを感じたときは新鮮。
 何か宇宙の秘密の片鱗を見た思いになる。しかし、よくある話で、誰でも思い当たること。
 遠くからだといいが、近付くと駄目。しかし、よく見える。だから近付くと悪い結果になるわけではない。しかし、一つの要素が消える。
 その両方を満たす方法がある。遠くから輝いて見えているのを維持しながら、葉の細部まで見る方法。
 望遠レンズを付けたカメラで写せば良いのだ。
 これで願いは叶えられるのだが、二次元に落とされる。立体感が消える。また徐々に近付いていくという時間が加わらない。
 しかし、望遠鏡なら、いい感じかもしれない。単眼鏡ではなく、双眼鏡。
 だが、そこまでして見たいわけではない。それに遠いところからでは葉の細部は見えないが、お隣の葉との違い程度は何となく分かる。葉の向きの違いや、形が違う。やはり肉眼で見ている方が、自然だろう。そして、近付けば変化していくのも自然なこと。
 カメラの一眼レフより、肉眼レフがいい。
 今度はそういう悟りをした。非常に浅くて軽い悟りで、薄っぺらい。まるでモミジの葉のように。
 
   了


 


2021年10月17日

小説 川崎サイト