小説 川崎サイト

 

見抜く


「見抜くことが大切だ」
「ミヌキですね。卵の」
「聞いたことがないが、何だろう」
「ゆで卵のことです」
「黄身だけを抜くのか」
「いえ、ゆで卵と同じです。子供の頃、そう呼んでいました。家でもそうだったので。殻が付いている状態では食べられないので」
「しかし、黄身だけを抜くことも見抜くことかもしれない。見えていない本質を抜き取る」
「でも白身の奥にうっすらと黒っぽい影のようなものが見えていますよ。そこがきっと黄身なんです。ただし、真ん中にある場合は、見えません。卵の一寸外れにあるときは、黄身の影が見えます。きっとゆでるとき、寄ったのでしょうねえ」
「おお、それは当を得ておるかもしれん」
「そうなんですか」
「何か手掛かりがなければ、物事は見抜けぬもの。ほんの一端から本質を見抜く。本質がはみ出しておるんじゃ」
「それ以外の見抜き方を教えて下さい。ゆで卵の中の黄身の位置を当てるなんて、単純だし、見えているんですから、誰にでもできますから」
「そうじゃな。先ほども言ったように片鱗や周辺から本質を見抜く」
「でも、間違いがあるのでしょ」
「殆ど間違う」
「じゃ、駄目じゃないですか。そんなこと人に教えてもいいんですか」
「いや、たまに当たるから心地よい」
「どういう風にして見抜くのですか、本質を」
「一寸した違いから、カンでやる」
「勘」
「そうじゃ、ヤマカンじゃ。これが一番当たる。しかし、保証はないが」
「直感ですね。でも、それって、師匠のただの想像でしょ」
「全てが想像じゃないか」
「ああ、そうなんですか」
「それで、わしの勘は、わしが望んでいるものに該当する」
「分かりにくいです」
「本質が、こうであって欲しいということじゃ」
「ただの希望なんですね。じゃ、勘じゃないし、それじゃ本質を見抜くのとは話が違うじゃありませんか」
「しかし、その場合、当たれば、大喜びじゃ。もしわしが望んでいないものだったら、当たっても災難じゃ」
「じゃ、答えは最初から決まっているのですね」
「当たりそうなのを選ぶだけ」
「折角の師匠のお教えですが、人には言えませんねえ」
「だから門外不出の秘術のようなもの。語ってはならぬぞ」
「はい、恥ずかしくて語れません」
「そういうことの中にこそ、いいものがあるのじゃ。人は見向きもせんことじゃがな」
「本当でしょうか。でも勘が鈍いとか、直感力がないとかでは無理ですね」
「そんなもの、なくてもいい。博打じゃ」
「ああ、安易な」
「偶然良い目が出ることがあるんじゃ。適当に選んだり、適当に言い当てたりする方がな」
「本質を見抜くとはそういうことなんですか」
「そうじゃ」
「違うと、思いますが」
「そうじゃ。全ては勘違いじゃ」
 
   了

 


2021年10月22日

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