小説 川崎サイト

 

散歩道


 下岡は一寸考え事をしながら、散歩していた。下岡にしては珍しい。昔は考え事や、考えが煮詰まったときに散歩に出掛けていたのだが、最近は散歩だけを楽しんでいる。
 風景を見たりとかで、これは目の前に現れるものを見ている程度。頭の中はその近い距離だけで、遠くまではいかない。確かに空の彼方の雲なども眺めるので、遠い距離のものを見ているのだが、あくまでも雲であり、空であり、それ以上の広い展開はない。
 散歩中、必要がないためだろう。草を見たかと思えば、木を見る。木のついでに空を見る、だから足元の草を見ているのと、同じ。
 しかし、その日の下岡は謎解きのようなことをしていた。探偵小説の終盤、読者のへの挑戦で犯人当てやトリック当ての謎解きではない。
 まあ、それに近いものだが、探偵小説と違い、犯人はいる。いない場合もあるが、解答がある。またトリックも最初から作られており、解答がある。別の方法でもできるかもしれないが、探偵作家が作ったトリックが正解となる。
 ところが下岡が考えているのは、そういった解答がない。それに永遠に解けない謎。だから、散歩中に解答など得られるわけがないが、何故解答がなく、謎のままで、分からないままなのかの理由程度は知ることができる。
 そのため、解答があるのかもしれない。その謎が解けないと分からないが。
 しかし、下岡は多くの選択をし、これが解答だろうと思うものを考えたり、選び続けながら生きている。振り返ると、全部正解のように見えるし、全部不正解のようにも見える。
 だから、解けない謎はゴロゴロ転がっているのかもしれない。今、見ている風景も、その一つ一つはそれなりに謎を含んでいる。
 ただ、ただの風景なので、そこまで追求しない。風景の中に何かを探しているのなら別だが。
 その日、気になって風景どころではなく、そのことばかり考えていたのだが、それが本当に解けたとしても、別段、変わらない。
 だから、ただの好奇心かもしれない。分かったからといってもの凄く得をするとか、人生が変わるとかではなく、ああ、そうだったのか程度の感じしか受けないだろう。まあ、納得できたという満足感は得られるが。
 それで、下岡はそんな思案を途中で辞め、いつものように風景などの目先のものに目を移した。
 世の中は謎だらけだが、謎を意識しなければ、それほどのものではなく、ただの暮らしぶりがある程度だろう。
 
   了


 


2021年10月25日

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