小説 川崎サイト

 

とある祭りの準備


 先々、必要だと思い、小まめに準備していたのだが、その先々の近くになると、あまり必要ではなくなっていることがある。
 先々を考えていた自分と、現実とでは、違ってきているためだろう。自分だけではなく、当然世の中も少し変化し、様子が違っている。それほど大きな違いはないのだが、必要性が薄らぐ。
 この先々の準備。実際にはその時、その場でも、できてしまうのだが、それでは余裕がないし、先のことを思う楽しみは準備中にあったりする。
 準備そのものが、先の楽しみの先取りなのだ。これは楽しいことでの準備もあるし、そうではない準備もある。そうでない場合は、その時にやればいいと思いがち。
 その嫌なことの準備も、その時になると、もう消えていたり、それほど嫌なことではなかったり、また嫌さ加減が小さかったりする。
 先を見込んでの準備。しかし、その先が今、思っている先とは違っているというのはよくある話。
 三島はそれで当てが外れたので、ターゲットを変えるか、仕掛けを変えないといけないと感じた。これは個人的なことなので、いくらでも感じればいい。ただ、三島一人の話ではなく、他の人にも影響を与えることだと、感じ入っているだけではすまない。何とかしないと。
 つまり、今までやっていた準備ではなく、別のことの準備に切り替える。その別というのが、定まっていないと、準備のしようがない。ただ、これまで準備していたものがそのまま使えることもある。だから流用。
 目標が変わると、筋が変わる。違う話になる。どの話がいいのかと、少し考えてしまう。まだ決まっていないためだ。
 それで、三島は次点のような目標を思い出す。メインの目標にはならなかったが、それが復活したりする。
 または、まったく別のものを新たに作るしかない。自分で作れないものは、探すしかない。何が良いのかと。
 しかし、三島は最初の目標、ターゲットは消える可能性があることを知っている。永遠にあるものではないため。
 場合によってはすぐに消えるのもあるし、少しの間だけ続くものもある。だから、いずれ乗り換えないといけない問題。
 また、外に問題ができてしまったのではなく、内側の変化も大きい。その気が薄れてくるとかだ。
 ターゲットは先にしっかりとある。しかし、乗り気ではなくなることもあるのだ。自分で消すようなもの。
 それで、三島の結論だが、もう何でもいいから、ゴソゴソ準備を楽しむだけでもいいか、というものだった。
 ということは、あまり大した目標や目的は懐いていなかったのだろう。
 
   了

 


2021年11月4日

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