小説 川崎サイト

 

桜と紅葉


 今年も紅葉の季節がやってきた。待っても待たなくてもやってくる。何もしていなくても一年は過ぎる。何かをした人でないと、やってこないわけではない。紅葉も勝手にやってくる。
 今月今夜見る月と、数年後に見る月は同じようなものだが、見る場所が違っていたり、また、月など見ようと思わなかったりする。偶然夜空を見れば月があった、その程度が多い。月を見るため、外に出ることは月に関しての何か用事があるためだろう。観測とかだ。
 その場合、日常的に月を見ている人だろう。しかし、月は見ていても星は見ていなかったりする。その逆もある。
 吉村は紅葉と桜に注目し、毎年見ている。散歩癖があり、そのへんをウロウロするため、目に付きやすいのだろう。草花なども見ているが、樹木は目線かそれよりも高いところに見えるので、自然と目に入る。足元ではなく、前方を見ているとき、勝手に目に入る。
 いつも通っている道の街路樹が色付き始めると、すぐに分かる。別に街路樹を見ながら歩いているわけではないが、自然と目に入るためだ。覗き込んで探さなくても。
 桜と紅葉はほぼ半年間隔、桜を見てから半年後は紅葉。これは区切りがいいが、そこまで考えないで見ているのだが、紅葉が始まる頃から半年ほどで桜へと至る。一年の始まりはいつでもかまわない。正月からでもいいし、桜の頃からでもいい。
 しかし、紅葉の頃が一年のスタートにはしにくい。何か終わりがけのためだ。あっという間に大晦日になる。しかし、桜までなら、半年ほどある。
 当然毎年見え方は同じだが、見ている状況が変化している。桜の頃にはなかったことが、紅葉の頃にできたとか、逆に桜の頃にはあったのだが、紅葉の頃にはなくなったとか。
 水虫があったのに、なくなっていたとかでもいい。
 桜もそうだが、紅葉も、その規模で見る。人生規模だが、半年単位だとそれほど長くはないが、それなりに動いている。
 桜の頃はよかったのに、紅葉の頃はよくないとか、その逆もある。また同じというのもある。
 吉村は、そんな感じで桜や紅葉を見ているのだが、紅葉の方が期間が長い。花見の桜は桜だけだが、紅葉の木々は色々ある。その木の中に桜の葉も含まれている。
 花びらが春に落ち、今度は秋に葉が落ちる。桜の二度見だ。
 秋は考え深くなるのは、紅葉の期間が長いためかもしれない。
 
   了


2021年11月6日

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