小説 川崎サイト

 

捨てた一日


 晩秋の曇天日。今日はあまりいいことはないだろうと、三船は考えた。これは深い考えではなく、そう思っただけ、もっと言えば単に感じただけだろう。これが先に来るようだ。
 そのため、特に理由はないが、何となく鬱陶しい。それで今日は捨てることにした。
 一日を捨てる。そんなことはできないので二十四時間分、何かをしていないといけないし、何もしないということでもしていないと時間は経たない。一日分はそれなりに消化しないといけない。
 三船が考えたのは、意味のない一日になるだろうという程度。あまりこれといったことのない日。これは三船が仕掛けないと、意味のあることができないのだが、向こうからやってくるラッキーもあるし、災難もある。
 そういうのがないとみて、今日は平凡な日でもいいと考えた。何をするのかを考えないで。
 平凡以下の、何かあまり優れない日になってもいい。それはまだ寝る前まで分からないが、その頃には、そんなことなど忘れているだろう。
 要するに三船は朝一番から元気がないという程度。天気の悪さと元気のなさが重なることもある。また、天気とは関係なく、元気なときは元気で、空のことなどどうでもよくなる。
 一日を捨てる。このフレーズを三船は気に入ってしまった。別に捨て身の決死隊をやるわけではない。あまり有意義ではない一日になる程度。
 しかし、有意義な一日とは何だろう。今日はいい日だった。今日はよくやったとか、そういう充実感が伴う日だろう。
 三船は今日は充実しなくてもいいと考えた。そのための段取りもしない。
 適当に一日を過ごす。何もしないで寝ているわけではなく、いつもの用事はこなすが、あまり積極的にはやらない。
 だから、一日を捨てるといっても捨てるわけではない。
 では、いつもは捨てていないのだろうか。
 それは張り切って、何かをやろうとしているだけで、それさえもいつもではない。いつもは、別にそんなことなど考えない。
 そして張り切ってやって、空回りになったり、こけたりする。すると、一日を捨てるよりも悪い状態になったりする。
 だから、一日を捨てるとは、そっといつも通りにやることだろう。肩の力を抜いて、そして、深く考えないで。
 すると、一日を捨てるのも、いいものかもしれないと三島は考えた。考えが浅いのか深いのかは分からない。これも考える前に、そう感じたためだろう。
 そして、一日が経過した。捨てた一日だったが、それほど悪くはなく、満更捨てたものではなかった。
 
   了


2021年11月11日

 

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