小説 川崎サイト

 

夢は秋野を駆け巡る


 秋の野。志垣はそういうところを散策したいと思っているのだが、街中で暮らしていると、野に相当する場所が遠い。だが、電車を使えば野のあるところへ出ることができるが、どの野が良いのかを検討する必要がある。
 当然日帰りで行けるような場所に原野などない。これはかなり野っ原というか、人が住んでいないような場所とかでないと駄目。
 だから、野にも種類がある。どの野までを志垣は野と思えるかだ。
 子供の頃、春になると、田んぼで遊んでいた。蓮華などが咲いていた。これも野だろう。田畑なので、野良仕事の野。
 これは平地のイメージ。流石にそういう場所は、大きな更地でもないとないはず。そういう巨大な空き地ほど、中には入れない。マンション群の予定地とか。
 しかし、平地に拘る必要はない。一寸した里山なら、電車ですぐに行けるだろ。面積は狭くても、山と接しておれば、それなりの拡がりがある。
 何処へ。つまり、そういう場所が何処にあるかを探さないといけない。これも面倒だ。山沿いの適当に降りた駅。そこにあるかどうかは行ってみないと分からない。適当すぎる。
 野でなくてもいい、山の中でもいい。そうなると野原のイメージから少し離れる。たとえば原生林が残っている場所なら、樹木ばかりで、草だけの場所など、少ないだろう。勝手に木が生え出すはず。
 スキー場ならいいかもしれない。シーズン前なので、雪ではなく、原っぱに近い。しかし、芝生のような草ばかりでは、一寸不自然。
 あとは山際のなだらかな斜面。灌木程度で、あとは下草。高い木がないところ。
 志垣はハイキングに行ったとき、そういう斜面にある草原のようなものを見た覚えがある。牧草地のようなもの。不思議と禿げ山のような感じだった。ただ、斜面だけだが。
 しかし、それはかなり歩かないといけない。軽いハイキングになり、一日仕事。秋は陽が落ちるのが早いので、午前から行く必要がある。
 すると、昼ご飯は何処で食べるのかと。別に悩むようなことではないが。
 そこまで考えると、邪魔臭くなってきた。一寸秋の野に出たいだけで、絶対に必要なものではない。
 車があれば、そのへんを走れば、見付かるだろうが、持っていない。自転車しかない。山道を自転車で走るのはきつい。それよりも、山際へ行くまでの距離で、もうバテてしまうだろう。
 それで、この件は取りやめた。
 そして、大きな公園内の遊歩道とか、そういうところを、一寸つまみ食いする程度で済ませた。
 
   了

 



2021年11月19日

 

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