小説 川崎サイト

 

やってみる


 やってみるまでは分からない。予想とか、予測はできる。しかし、実際に動いてみると、中味が見えてくる。思っていた通りの中味だが、あれっと思うようなものが新たに見出されたりする。それをやっていて別のものが浮上してきて、そちらの方が実は大事だったりする。
 それで最初にやり始めた頃の目的とは違う目的に乗り換えたり、また並行してやったりする。
 さらに進めていくと、思ってはいなかったが、思い当たらないことではないという微妙なものに突き当たる。これもまた別の目的でもあり、違うことをやるようになる。
 やってみるまでは分からないのだが、やってみると荷物が増えたりする。また初期の挑み方とは違ってくる。これは本質のようなものが見えてくるためだろうか。用件が整理され、減ることもあるが。
 その本質、実は想像されていたことだが、「ここで来るか」と言うほど、妙なタイミングで来る。いずれも奇想天外な展開にはならないが、違う根から来ているものがあるので、これは面食らったりする。
 これをやっているのに、これが来るか。ということで、知っていることだが、ここで来るとやはり戸惑う。準備していないためだろう。最初の目的とは違う物をやるのだから。
 現実に直面すると、まさに現実に直面する。直接来る。そこからの見晴らしは、想像していたときよりも広い。現実なので、そちらの方が広くて当然。
 現実は小説よりも奇なりというのが、それだろう。
 目の前の現実。そこは交差点であったり、そこに立たなければ、見えてこないものもある。現実を直視すると、余計なものまで見えてくる。見てしまう。避けたいものも多い。
 運命的、宿命的なことや、何ともならないものも顔を出す。色々なものが交差している。そこで選択するというか、今回の目的に沿うようものに絞る。そうでないと、荷物が多すぎる。全部できない。また、四方八方にすぐには行けない。
 これは一種の現実見学。ただ、その分岐点や枝や、根本などが分かるのだが、それもまた想像。そこもまた一歩踏み込まないと、本当の現実は見えてこない。
 予想はできるし、知っていることが多いが、そんなところに繋がっているのかとか、目の前にあるものが実は遠いところにある根からから伸びてきているのかとかが観察できる。
 あまり芳しくなく、目を塞ぎたくなるものは塞げばいい。因果の根は深かったりする。
 悪い根は絶ちきるべきだが、そのとき、悪根から来ているが、良いことも切られたりする。
 考えているだけではなく、実際に行動すれば、色々なことと遭遇する。やってみなければ分からないというのは知っていても、実際に立つとスリルとサスペンスが待っている。上手くこなせばカタルシスが来る。
 
   了


2021年11月23日

 

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