小説 川崎サイト

 

手を抜く


 手を抜く。これは入れていたのだろう。指ではなく、手。手首まで、あるいは腕まで入っていたのだろうか。
 指だけなら小手先。手の先は指なので、小手先の芸は指芸。しかし、小さな手と書くので、一寸だけの芸だろう。
 では、手を何処に入れていたのか、突っ込んでいたのか。それは物事だろう。
 手は抜くものの、本当に抜いているわけではない。少し抜くだけで、全部ではない。そうでないと事柄などを処理できない。完全に抜くと手を抜くのではなく、手を引くになる。
 抜いたり引いたりと忙しいが、やったりやらなかったりするのは手を引いたり、また入れたりするためだろう。
 手を入れる。これは手入れ。博打場に手入れが入ったわけではないが、庭の手入れとか、髪の毛の手入れのようなもの。
 これはそのまま手を入れる。また人の手が入っていないところに入り込んだりする。そこで一寸手入れをする。人の力というか、何らかの処理なり処置をするのだろう。
 また、手の込んだことを、と言う場合の手の入れ方は、もっと奥まで手を入り組ませているか、凝ったことをするのだろう。
 足を入れたり、足を洗ったり、踏み込んだりと、足の使い方も手と同じように、色々とあるが、いずれも具体的。
 手を抜くは具体的だが、手を使うとは限らないが、気を抜くとなると、気持ちの問題になる。気を引くもある。これは注目してもらうためだろう。相手の視線だ。また気が引けるは、本人の気持ちの問題。それらは具体的な動きもあるが、気持ちに絡むことは分かりにくさがある。見た目では分からなかったりする。
 手が乗るは、どういうことを言っているのか分かりにくいが、気が乗るのなら分かるだろう。
 手を入れ、さらに気を入れ、だと、かなりレベルが高い。懸命にやっているのが分かる。さらに気合いが入ると強烈だ。
 気を入れるは繊細。気合いを入れるのレベルは少し荒っぽいかもしれない。スポーツとかを思い浮かべるためだろう。
 その気になるとは言うが、その気合いになるとはあまり言わない。どの気合いかと、探したりする。
 手も抜き、気持ちも入れないとなると、これは楽だろう。これが標準レベルで、いつもの状態なら、疲れにくい。しかし、一寸した疲労感は欲しいし、たまには気を入れた方が変化があっていい。
 気を入れ、手もよく動いているとき、熱中しているようなものなので、時間も忘れるほど。これはこれで楽かもしれないが、何処かで疲れが溜まる。
 ずっとパンパンの風船ではパンと破裂しそうだ。気の抜けた、空気が少し抜けている風船もいいものだ。クッションがいい。
 自転車のタイヤもパンパンだとよく弾み、スピードも出るが、ガンガン尻に来るかもしれない。空気圧が高すぎるのだ。緩んでいる方がクッションがいい。しかしスピードは出ないし、ペダルも重い。
 ずっと手抜きでは逆に楽しくはない。またずっと手を入れすぎ、凝ったことばかりしていると、肩も凝るだろう。
 抜いたり入れたりするのがいい。
 
   了

 


2021年12月2日

 

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