小説 川崎サイト

 

丙子夜話


 旧家の倉の中からではないが、珍しい本が出てきたと、谷川氏は、それを持って妖怪博士宅を訪ねた。当然妖怪に関係する話だ。
 谷川氏が妖怪博士宅をどうして知ったのは、その後も分からない。別に隠れ家ではないし、それなりに知られている人なので、何処かで聞いたのだろう。いつもの担当編集者の出版社なら知っている。彼が教えたかどうかまで確認していないが、他の人かもしれない。
 だが、谷川氏はそんな神経を使うような人ではなかった。
 持ってきた本は和綴じで、タイトルは紙が短冊のように貼り付けられており、丙子夜話。江戸時代の怪異談を集めた甲子夜話に似ている。
 そんなものがあれば、世に知られているだろう。それで、これは偽書のようだ。
 漢文ではないので、妖怪博士はちらっとそれを読んだだけだが、確かに妖怪が多い怪異談というより、ほとんどが妖怪の話。これは珍しい。妖怪なので、名前がついているが、聞いたような名が多いが、知らない名もある。
 だが、どの妖怪も大したことはない。いずれも実録もので、実際にいた妖怪の話。それを見た人、聞いた人の話を集めたもの。これは妖怪ではないだろうというようなものも当然入っている。
「これは何処から出てきましたかな」
「爺さんの蔵書です。もうとっくに亡くなりましたが、本は売ったりしないで、爺さんの部屋の本棚に残っています。捨てにくいと言うより、置き場所があったためです。そのうち処分しようかと思っていたのですが、古書店が喜びそうな値のあるのはなさそうなので、面倒なのでそのまま放置していたのです。爺さんの部屋を誰かが使うのなら、整理しますが、家族は減る一方ですので、そのままです」
「なるほど。じゃ、それほど古い本はないのですな」
「そうです、古本屋で買ったものが多いようです。ジャンルはバラバラで、ただの趣味で読んでいたのでしょうねえ」
「甲子夜話の他に乙子夜話や丙子夜話があるとされていましたが、実在していたのですな」
 妖怪よりも、その本が珍しいようだ。
 甲乙丙。いずれも干支だ。
 しかし、その本、古いが、それほどでもない。当然出版社名などは記されていない。一応印刷されたもので、写本ではない。そちらの方が手間がかかるので、値は高いかもしれない。装丁を見ると、これは江戸時代のものではなさそうだ。
 どうも、偽書ではないかと思ったのは、中味だ。書かれていることが、甲子夜話とは内容が違うのは分かるが、文体が違う。それと、これは創作ものではないかと思えるのがほとんど。偽書と言うよりも嘘書だ。
 まあ、妖怪を扱っているので、そういうおふざけや洒落が入ってもいい。だから、ただの風俗読み物だったのかもしれない。
 妖怪博士はその爺さんの本箱が見たくなった。その周囲の本から、何か、掴めるのではないかと思ったため、そして後日、見に行く約束をした。
 その後日になる手前、電話がかかってきて、ないという。
「何がですかな」
「丙子夜話が」
「持って帰るとき、落としでもしましたか」
「それならすぐに電話します」
「じゃ、何処に置いておられたのですかな」
「本棚に戻しました」
「ふむ」
「それで、博士が来る日が近付いたので、爺さんの部屋を掃除したのですが、そのとき、本棚を見ると、その棚にない。同じ場所に入れたのですが」
「本棚から本を抜いたなら、一冊分の隙間が空いているでしょ」
「空いてました。それで、戻ってからそこに差し込んだのですが、今朝見ると、乙子夜話はなく、隙間もありませんでした」
 妖怪博士は、ああ、妖怪は、その丙子夜話だと思ったが、それは言わなかった。
 今の話なので、これは令和夜話だろうか。
 
   了



2021年12月8日

 

小説 川崎サイト