小説 川崎サイト

 

一日だけの休み


 やっと休みめる日が来た。寸刻を惜しまないで仕事をしていた。少しでも多くやらないといけないので、暮らしぶりのことなどは最低限。それでも間に合わないほどだが、長丁場、いつまでもそればかりに専念できない。
 植田はそれが習慣化したため、苦痛ではないが、日々気忙しい。時間に対してケチになっている。ケチった分、仕事時間に充てている。
 それで一段落付き、これで遅れないで、何とかこなせるだろうという目星が付いた。
 急に梅干しが食べたくなった。何の関係もないのだが、余計なことに気が行くようになったのだ。実際にそれで梅干しを買いに行ったわけではない。
 弁当などを買えば、梅干しがご飯の上に乗っているだろう。それでいい。しかし、植田は弁当などほとんど買わない。自炊しているためだ。そして食材を買い出しに行くとき、梅干しなど頭にない。
 一日ぐらいは休める目安が立ったので、これまでできなかった暮らしぶりのことなどをやるのがいいのだが、それをすると忙しくなる。最低限のことはやっているので、急ぐことはない。それに久しぶりなので、休みたいというより、何もしたくない。
 仕事中、一段落付けば、あれをしよう、あれを買いに行こう。あそこへ行ってみようなどと考えていたのだが、いざその時間ができても、動こうとしない。もうそれほど欲しくないのだ。
 欲しかったのは、何をしてもいい時間。また、どうでもいい趣味的なこと。いずれもなくても困らないこと。
 忙しいときはには頭に浮かび、暇になると、消えている。
 束縛されているときほど、欲が沸く。そんなものだろう。
 しかし、今日一日は完全に仕事から離れてもいい。その束縛感から解放され、自由になった証拠のようなものが欲しいだけかもしれない。しかし、疲れるようなことだと、明日からの仕事に影響する。
 それで思い付いたのが、何もしていないのと同然の散歩。ここに散歩が来る。便利だ。
 外に出ても用はないが、あればあったで、そちらへ向かったり、買い物などをしてもいい。散歩中、それを禁じているわけではない。目的ができてもいい。ただ、出る前は何も決まっていない。
 首輪が外れた犬ではないが、繋がれていた鎖から抜け出した。しかし首葉は抜けていない。だから、ただのアクセサリーのようなもの。鎖あっての首輪。
 最近はそんな鉄の痛そうで重い鎖など付けている飼い犬は少ない。
 首輪まで外さないのは、また繋がれるため。休めるのは一日だけ。しかし、昼頃まで寝ていたので、半日あるかないか程度。だから近所の散歩なら半日もいらない。一時間ですむだろう。そして戻ってから、また別のことで憩えばいい。
 また、散歩の途中で電車に乗って遠出してもいい。目的駅があってもなくてもいい。電車に乗って行って戻ってくるだけでもいい。
 電車に乗るだけでもいい。そして、降りた駅で何か食べてもいい。ただ、映画は時間を取られるし、見ているだけなので、それは避けたい。主人公が自分ではなくなるので。
 この散歩、途中、何もなかった。それでいい。何もない方がいい。また、こんなときに限って、というのもない。
 実際には植田は十五分ほどで、引き返した。
 最近、歩いていないので、足が痛くなったのだ。
 しかし、その痛みが心地よかった。
 
   了

 


2021年12月10日

 

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