小説 川崎サイト

 

久しぶりの場所


 見知っているが、しばらく来なかった場所や町。その町は毎日行っているが、知らない場所は当然知らない。入ったことのない建物や道。いずれも用がなければ立ち入らないし、また一生立ち入ったり通ったりすることもない。たとえ毎日その周辺を通っていても。これは公道から見える風景だろう。
 しばらくぶりに行く町も、その町の全てが久しぶりなのではない。以前通ったところや、うろついた場所程度。それでも、時間を空けると、少しだけ変わり、忘れていたような風景もある。覚えているのだが、忘れている。
 知っている場所。時間だけが経過したが、それほど変化はないものの、その周辺が変わり、そのものの印象が少し変わっている。そのものは同じでも。
 当然見ている側も違うだろう。それが十年ぶりとかになると、見方も違うはず。同じものを見るにしても別の視点から見てしまったり、別の意味を見出したりする。変化しているのは町並みだけではなく、それを見る本人も。これはあたりまえの話で、よく感じること。
 そこへ車で来ていたとすれば、車種も乗り換えているだろうし、また電車で来たとしても、駅が様変わりしていたりする。レールは昔の位置だが、ホームが変わっていたり、柵ができていたり、階段も新しくなり、エスカレーターが付いていたりする。それも含めて、久しぶりの町に降り立つ。
 自転車ならこれも違うものに乗っているだろう。十年前と同じ自転車でも、錆が浮いていたり、擦り傷や、禿げているところもあるだろう。
 そこは十年ぶりに見た町でも時間は同期しているので、塗り立てのペンキも、塗り替えなければ、十年分の変化があるだろう。当然見る側の十年の月日もあり、足が重いとか、痛いとか。また体重の変化があるかもしれない。そして視力も。
 また、賑やかな場所が寂れていたりする。本人も寂れておればおあいこで相性がいい。お揃いだ。
 逆に真っ新になった町。これは建て替えたり、美化が進み、綺麗な町に変わっていたとき、一寸違和感を感じる。昔を偲ぶものが少ないと、初めての場所に近い。
 これはこれで、新鮮でいいだろう。あれがこうなった、これがああなったなどと、変化したものを見ながら、復元したりする。
 久しぶりに行く町。その久しい間の時間も止まってはいないのだが、行っていないので分からないが、そこも同じように時を刻んでいるのだろう。当然ほとんどそのままだと、時間が止まっているように見えたりする。
 
   了



2021年12月14日

 

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