小説 川崎サイト

 

いつもが崩れる


 いつもとは違う。これもいいものだ。最初は困るが、それが始まりで、以前とは変わってしまうのなら、それなりに面倒なこともあるが、一日だけなら、明日からはいつもの状態に戻れる。
 だから、たまにならいいのかもしれないが、やはり違えると並びが変わるし、いつもとは違うことをしないといけない。これがいいのか悪いのかだが、一寸した変化は刺激になる。
 だが、そう言い切れないこともあり、これは未知。やってみないと分からない。
 いつもと違うことをする場合も、大凡の予想は付く。決して未知ではない場合、あまり好ましい変化ではないと感じる。これはやっていることは似たようなものだが、日常のベースになっていることだと、順番がある。それが狂うと、調子の狂った一日になる。
 それで、気が狂うわけではないが、落ち着かなかったりする。
 ではいつもの事柄や、いつもの順番や、いつものやり方や、いつもの場所や、いつものもの、いつもの人達、いつもの時間とは何だろう。
 これはただの慣れかもしれない。慣れると以下省略で、細かいことは無視。そこは考えなくてもいい。判断もいつもと同じなら、判断なしなので、頭も使わない。
 つまり、いつものこととは、頭を使わなくてもいいことになる。頭は使いすぎると駄目だが、使わなさすぎると、それも駄目。
 適当に頭は使う方がいい。無料だ。
 いつもの、ではないことに、いつの間にか切り替わってしまうことがある。いつもの部分が故障し、新たないつものものが産まれる。
 それがいっときの場合もあれば、その後、そればかりとなり、定着し、習慣化する。見慣れたものになり、その状態になれば、もう深く考えなくてもいい。
 取り込む場合は考えるが、取り込み終えればそれを実行するだけ。だが、調子が悪いと取り外したり、取り替えたり、乗り換えたり、引っ越したりするだろう。
 そういうのは何処で決まるのか。偶然の場合もある。一つのことは一つのことでは決まらない。周辺との関係もあるので、偶然それらが重なったときが、変え時かもしれない。
 自分を変える。そんなことを考えなくても、どんどん変わっていく。知らない間に。
 当然知っている間に変わることもある。見る間に変わっていくとなると、これは分かりやすい変化。
 変化は内部からも来るが、外部からも来る。内部の要因と外部の要因。外部が内部に取り込まれて、もう内部のものになっていたりもする。しかし、それは相変わらず外部のままかもしれないが。
 一寸した変化で、いつもが変わるとき、運転が大変だ。しかし、路線変更のいいチャンスかもしれない。
 
   了



2021年12月15日

 

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