小説 川崎サイト

 

街の灯


 昔の村人が、一生涯一歩も村から出なかったという話があるのかどうかは、あまり知られていない。誰かが調べたわけではない。これが位の高い人なら、祐筆とかがいて、その日記のようなものを書いていたかもしれないが。
 意外と昔の村人は村から始終出て、移動していたのかもしれない。村にあるお寺などで他国へ出るとき通行手形を出していたはずなので、その記録を見れば分かるかもしれないが。
 この場合の村人とは農家。だから買い物で町に出るにしても、そんなものはいらなかったりするかもしれない。田畑や暮らしぶりで使うような物は村で売られていたりするし、また自分で作ったりする。村に鍛冶屋がない場合、お隣や近在の村へ行く程度だろうか。
 下田はそんなことを思いながらの町内暮らし。最近は町内からほとんど出たことはない。歩いて行ける程度の自転車移動で、自転車はもっと遠くまで行けるのだが、パンクしたとき、押して歩いて帰ることができる距離内が行動範囲。
 その他の買い物などはネットでできるためだろう。
 目の前に道がある。最近は滅多に通らない道。その入口は路地。これはただの入口。駅へ向かうときの近道なのだ。
 しかし、駅へ出ることは下田には先ずない。電車に乗って行くような用事がない。遊びで行くこともないので、入り込むことのない路地。
 その路地が駅まで続いているわけではなく、すぐに大きな道に出る。そこから駅へ向かう。ただ、下田の家から見ると、これが駅への順路になる。ただの細い道だが。
 ある日、下田は、町内ばかりに踏みとどまっていていいのだろうか。もっと広い世界があるはず。井の中の蛙ではないか。
 しかし下田は大海を知っている。しかし大したことはなかったと踏んでいる。だから大海を踏む、泳いでもここ以上のことがあるとはもう思えない境地にいる。
 だが、たまには大きな街中に出てみたい。大都会だ。しかし、ただの大海で、広いだけ。具はそれほどなかったりしそうだが、とりあえず、たまには街に出るのもいいと考えた。
 それで夕闇が迫った頃、行く決心を固めた。その日の朝から考えていたのだが、踏ん切りが付かず、その路地に踏み込むことはできなかった。
 しかし、何かの衝撃でも走ったのか、ただの気紛れか、夕方あたりに決心がついた。予定ではなく、実行。
 そして、駅へと続く路地に入った。路地と大都会とは何の関係もない。最寄り駅までの近道というだけ。
 そして奥へ奥へと進む。こういう路地は長くはない。すぐに大きな道に出る。また出てもらわなければ駅には出られない。駅までこんな路地がずっと続いているわけではない。
 しばらく行くと、意外と路地が深い。何度か通ったことはあるが、こんなに長かったのかと思うほど。
 別の路地に入ったのではないかと一瞬思ったが方角は合っている。すぐに大きな通りに出るはず。
 だが、一向にその気配がない。路地が続いているのだ。流石に、これは長すぎると思うものの、薄暗くなりかかっているので、距離間が狂うのかもしれない。
 路地といっても家の裏側の塀も続いているが、表玄関がずらりと並んでいる長屋もある。洗濯物もまだ取り込まず、夕闇で泳いでいる。
 それにしても、長い。また、この路地、こんな場所だったのかと不審感も出てくる。長く入り込んだことがないので、そんなもの。それに薄暗いので、よく見えなくなっている。当然横道や枝道もある。一本道のトンネル形の路地ではない。
 それからしばらく経った。もう駅へ着いているほどの時間だろう。そんなに長い路地であるはずがないと、流石に下田はこのとき気付いた。遅すぎるほどだが、たまに通る場所は、そんなもので、ただの錯覚だと思っていた。
 だが、そんな勘違いではなく、物理的にも空間的にも時間的にもこれはおかしい。
 やがて暗くなってきたとき、前方に明かりが迫ってくる。今までなかったことだ。大通りに出るのだなとやっと分かったが、それにしても、出るのが遅すぎる。これはやはり、おかしい。
 明かりはネオンのようで、ビルの窓も見える。高層ビルだ。マンションではない。この近くに結構建っているが、窓がそんなに明るいわけではないし、また看板類やネオン文字が見える。
 まさか歩いて都会に出たのだろうか。出るとしても大通りだろう。そこの明かりといってもコンビニやガソリンスタンド程度。
 そして路地を抜け、そこに出た。
 大都会の夜景が拡がっている。
 しかし、よく見ると、少し古い。下田がよく行っていた時代の大都会の夜。
 そこへ入り込んだ。
 下田は困ったものだと、ため息をついた。
 
   了



2021年12月17日

 

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