小説 川崎サイト

 

師走の繁華街


 年が押し迫っていた。カレンダー見ているだけでも気忙しい。しかし、富田は押し迫っていなかった。別に年内にやらなければいけない用事もなく、また年末年始の行事などもない。フリースタイルだ。
 これはフリー、自由時間。大概の場合、時間が自由に使えるとなると、普段、できないことをやったりするものだが、富田の場合、フリーとは、何もしないということ。フリーなスタイル。自由なスタイルとか何もしないというスタイル。妙だ。
 何もない時間と空間。そんなものは存在しないので何かがあるもの。その何かとは言うほどのことではないし、何もしていないのに等しい。食べて寝ているだけ。
 実はこれができるだけでも充分かもしれない。食欲がなければ、ないだけの理由がある。胃腸でも悪いか、他の身体箇所が悪いののかが食欲に関わったりするし、また気持ちの上でのことで食欲をなくすこともある。
 富田はそこは順調だ。これだけでも大したものだと言うべきだろう。ただ、人に自慢したり、誇ったりできるものではないが。
 また寝るというのもそうだ。何か嫌なことでもあり、そのことばかりを考えていると、寝付けなかったりする。
 しかし、睡眠は時間さえ与えられればいくら寝付きが悪くても、そのうち寝てしまうだろう。ただし、起きる時間が遅くなるが。
 年末、押し詰まってきたが、富田は詰まっていない。そのことに関し、それをつまらないとは思わないものの、何か物足りない。足りているのだが、足りない。
 これは世間に合わせ、年末らしい足取りになりたいのかもしれない。師走。富田は先生ではないが、走ってみたい。外に出て、そのへんを走って一周するのではない。
 要するに、忙しさを味わいたい。だから、暇なのだ。時間が長く感じられる。忙しいとスピードが早い。すると一気に年を越せそうだが、それでは早すぎる。程良い忙しさ、慌ただしさが良い。だが、無理をして、そんな用事を増やすのも不自然。わざとらしい。
 こういうとき、そういう気分になったときのいつものパターンを富田は持っている。繁華街をうろつくこと。
 これをやると、必ず忙しくなる。何かが起こる。イベント会場ではなく、街頭で。
 富田は人付き合いを殆どしていない。だから、誘ってくる人もいなければ、誘う人もいない。しかし年末の繁華街に出ると、思わぬ人と遭遇し、その後、忙しくなる。生活が乱れるほど。
 それは歓迎しないが、毎回ではない。何もない年もある。だが思わぬ人と遭遇する確率は非常に高い。
 それをやるのも興味深いと富田は考え、繁華街に出ることにした。これは冒険。何かが起こる可能性が高い。
 久しぶりのこと、これは毎日だと起こらないが、たまに行った場所などで起こりやすい。結界から出るためだ。
 富田は暮れの押し迫った夕方、ネオンが灯る頃、繁華街に出た。
 そして本通りや裏側の筋、そして横道の狭い路地の飲み屋街などに入り込んだ。
 さらに人が寄り付きにくい路地にも入った。そこは暗い。ネオンも少なく、それも薄明かり。そして地味なネオン看板。白地に文字だけとか。中には裸電球で看板文字を照らしているものもある。この繁華街の最深淵部だろう。
 そして、そこに足を踏み入れ、ゆっくりと通り抜ける。
 結果、何も起こらなかった。
 そしてターミナル駅に戻るときも。さらに最寄り駅から歩いて戻るときも。
 今年は何も起こらなかったようだ。
 
   了


 


2021年12月31日

 

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