小説 川崎サイト

 

阿波侍


 垂井の宿は宿場町ではない。そのため、宿屋はない。しかし、泊めてくれる家がある。百姓家だが、空き家もある。
 山中にあり、宿場と宿場の間ぐらい。その距離が長いので、そこにできたのだろう。といっても勝手に旅人を泊めているだけ。また街道沿いではない。宿場と宿場を結ぶ本街道ではなく、裏街道。だから二山越える程度でずっと続いているわけではない。
 本街道よりも回り道になる。だが、本街道には番小屋があり、たまに役人がいる。関所という規模ではない。
 それを嫌がり、裏街道をとる人がいるのだが、遠回りなので、その中間に宿屋がある方が好ましい。それでできたのが、その宿場。だがそれらしい建物はなく、山間の小さな村。モグリの宿場なので、旅人を泊めるわけにはいかない。そのため、親戚とか、縁者とかを泊めるという形を取っている。
 それで馴染み客、常連も多くいる。
 そこに珍しく武家がやってきた。事情があるのだろう。番小屋を避けているので、分かる。
 裏宿場町と言うより、村だが、本街道からの枝道は険しい。大きな山を越えないといけない。そこを下った山間に村がある。本街道と交わるためには、また一山越えないといけない。
 その武家は空き家になっている百姓家に連れて行かれた。流石に縁者とは言えない。身分が違う。そこを強引に与三郎の娘婿ということにしてもらった。その侍、形だけのことなので、承諾した。
 これはもし取り調べがあれば、親戚が泊まりに来ただけ、と誤魔化せるが、滅多にそんなことはなく、またお目こぼし、黙認。だからそんな縁を作る必要はないのだが。
 ところが、その夜に限って、役人が来た。事情は分からないが脱藩者が出たとか。
 宿貸しの与三郎は自分が泊めた侍ではないかと心配した。
 逃げてから間がないので、このあたりに来ている可能性がある。当然、表街道や、別の裏道、間道も捜索中。
 領内を出てしまえば、それまで。取り押さえるのなら、今しかない。
 与三郎は、そのことを侍に言うと、あ、そうと簡潔に答えただけ。この侍、阿波の人。ずっと浪人している。だから、いい機会なので、諸国を見て回っているのだろう。
 当然、城からの追っ手の役人は、その旅の浪人者に合うことになった。
 与三郎はこの人は私の娘婿で、遊びに来られたので、お泊めしました。要するに金銭を受け取って泊めているのではないと、くどいほど説明した。
 役人達は、そんなことはどうでもいい。それに宿屋をやっていることは知っているのだ。
 それで、養子で来てもらったというのは言い間違いで、娘がこのお方に嫁いだのだと、言い直した。
 しかし武家が百姓の娘を嫁にするのは珍しいかもしれない。そこをどう説明しようかと与三郎は色々と事情を話した。役人達は、そんなことは聞いていないので、取り合わない。
 そして百姓家の一室にいる侍を取り囲んだ。
 その浪人、刀を壁に立てかけたまま、板戸を開けた。
 捕り手は三人、いずれも若い藩士。
 浪人はここに泊まった事情を話し出した。与三郎の話とは少し違うが、聞き取りにくい。何を言っているのか、分からない言葉もある。
 それを聞いた捕り手は、立ち去った。
 阿波訛りが強すぎて、脱藩した者ではないし、見たことのない顔だった。
 空き家の百姓家を出て行く役人の後ろから、与三郎は先ほどの縁組みの続きを綿々と喋り出した。親戚の知り合いを泊めただけですと。
 嘘丸分かりなので、役人達は苦笑しながら、去って行った。
 
   了



2022年1月6日

 

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