小説 川崎サイト

 

隠遁家


 厭世家の田村は当然、隠遁生活に入りたいのだが、実は遁世ではなく隠遁が良い。こちらの方が穏やか。
 世間の片隅で、静かに暮らす。だが、人の世からは逃れられない。田村が人のため。
 世を嫌う。これは人を嫌うのと等しい。これの初期は人付き合いを嫌がる。おそらく苦手なのだ。田村は子供の頃からそれがあった。人見知りが激しい。
 それはましになったが、隠しているだけ、我慢しているだけ。耐えながら人付き合いをしていた。そうしないと生きていけないため。だが、それをできるだけ少なくするのが良い。
 時代は進み、自販機とか、ネットとか、そういうものが出てきたとき、これ幸いと思った。機械相手なら良い。何も問題はない。
 そうこうしているうちに、人とは接するものの、「はい」とか「いいえ」程度。イエスかノーか程度しか話していない。もう少し長くなることはあるが、会話のラリーは一度か二度。三度はなかったりする。
 この時代、隠遁生活に合っているように思えた。そして隠遁者ばかりになるのではと、妙なことを考えた。時代が隠遁世界になったのだ。当然、それは錯覚なのだが、田村はそう思いたがった。
「あの先生はねえ、人嫌いだから、合いに行かない方がいいよ。町外れの妙なところに住んでいるしね。周りは空き家が多いよ。家も古いし、いつの時代の住宅地なんだろうねえ。あの先生、わざわざそんなところに引っ越したらしいよ。人を避けているんだ。客を避けているんだ。だから行かない方がいいよ。歓迎されないどころか、迷惑がられるだけだからね」
「そうですねえ」
 その隠遁者は先生と呼ばれているのだが、これは隠遁の先生で、隠遁術の専門家。水遁の術とか、火遁の術とかの忍術に近い。これは隠れるという術なのだから、同じものなのだ。
「君かね。隠遁術を習いたいというのは」
「はい、先生。よろしくお願いします」
 人嫌いの先生と噂があったが、普通に喋っている。本当は苦しいのかもしれないし、嫌々話しているのだろうか。だが、そうは見えない。
「隠遁術の本を読んだか」
「はい、先生の本は全部読みました」
「じゃ、教えることは何もない。全て、そこに書かれている」
「そうじゃなく、弟子になりたいのです」
「師弟関係かね。君は人と接するのが好きなのか」
「さあ」
 赤面症の人は赤面症を治す本を店頭では買えない。
「さあでは分からん。それに、こんなところに人を訪ねてわざわざ来るんだから、人嫌いではなさそうだし、世をすねているわけでもないようだ」
「すねています。浮き世が嫌で隠れ住みたいのです」
「雨戸を閉ざしても隙間から日は差す」
「少しは、いいです。その程度なら」
「じゃあ、何だ。趣味か」
「はい、まあ、そのようなものです」
「しかし、私は人とはできるだけ合いたくない。だから弟子は取らんし、大体こんなものの師弟関係などない」
「はい、分かりました」
「素直だな」
「あ、はい」
 隠遁家の先生がどんな人なのかを知りたかっただけかもしれない。直接合って話しているうちに、普通の人だというのが分かった。
 
   了



2022年1月7日

 

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