小説 川崎サイト

 

正月明け


 正月明け、笹倉は正月ボケはしていない。正月気分が抜けきれない年ではなかったようだ。
 それというのも平日とあまり変わらないような三が日のため、大晦日も普段と変わらないまま年が明けていた。
 寝ようとしたとき、あ、新年だったのかと感じたぐらい。この旧年から新年への年越し、ああ、新年だったか程度の規模。もう少し深い何かを感じるはず。
 行く年の思い出とかが走馬灯のように、とかの馬を走らせる必要はないが、感慨とかはあるはず。
 行く年の次は来た年。既に来ているので、来る年までは三百六十五日ある。最長距離で思う来年だろう。
 真新しい年が来た。だが、寝る時間なので、寝た。それだけ。
 このペースで三が日を過ごした。だから正月ボケになりようがない。普段やっているようなことを普通にやっていただけ。
 三が日が明け、四日、五日と立つと、世間も平常通りになる。
 笹岡には正月休みはない。しかし、年中休みのようなものなので、休むも何もない。
 だが、正月中だけ休んでいたことがある。やらなかったこと。ちょっとした用事、それは毎日やっていた。小一時間で済む。それを休んでいた。
 正月ぐらいはいいだろうという感じだ。元旦から掃除はしない。そんな感じの用事なのだが、これは正月だから、ということでサボっていた。
 ここだけが普段とは違う正月。そして明けたので再開しようとしたが、気が重い。三日休んだだけ。また普通の日でも休む日がたまにある。そんなときは罪悪感のようなものを感じる。他の用事ではそんなことはないが、そのことだけは、気になる。やっていなかったことが。休んだことが。
 毎朝仏壇に水を供える。それに近い。
 笹倉は正月も休まなかったが、そのことだけは休んだことになる。正月ぐらい、いいだろうと。だから再開が面倒になった。重い。気が。
 やはり三日も休んだことが気になる。以前と同じ状態で再開できるかどうかが心配。これは気持ちの問題。
 やはり笹岡は正月休みをしていたのだ。
 それで、正月が明けた四日の日、怖々再開したのだが、特に変化はなかった。いつも通り。三日間の休みは関係なかったようで、やる前こそ気が重かったが、やり始めると普段に戻った。
 この小一時間で済む用事。何か遠いところと繋がっており、笹岡の人生とか暮らしぶりを言い表しているような感じがする。
 人にはそういう特別な用事があるのだろう。傍目では普通のありふれたことでも。
 
   了

 


2022年1月8日

 

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