小説 川崎サイト

 

いにしえびと


 高石青年は昔からのことを綿々粛々とやっている。どれぐらい昔かというと、それは石器時代までは遡らないが、縄文時代が少し入っているかもしれない。
 しかし、それでは古すぎる。
 そのため高石青年は普通の社会生活をおくれるよう、今風なセンスも持っている。当然だろう。
 ただ、古い伝統とか、昔からの言い伝えや慣わしなどは、ほぼ丸呑み、鵜呑みにしているが、それも今では通じないようなことは流石に横に置いている。捨てたわけではないが。
 職場では「いにしえびと」「古人」と呼ばれている。古式に則り、というようなことではなく、それにそこまでの知識は高石青年にはない。だから、考え方が古臭いだけ。
 それらは学んだわけではない。古いことを調べたりはせず、聞いたことが残っているだけ。
 たとえば、ことわざとか金言。こういうのは何処かで耳にする。または見たりする。さらにフィクションものを見ていたとき、そういうものが残る。
 この、いにしえびと。単に昔の人だが、その昔がいつ頃なのかは、いにしえという言葉が何となく年代を示している。
 ただ、それは高石青年に対するあだ名、ニックネームで、その職場内の少数の人からしか、そう呼ばれていない。
 職場を離れると、そんな、いにしえびとなどいなくなる。普通の青年だ。ただ、普通よりも、少しおっとりとしているかもしれないし、そのスタイルもオーソドックス。地味。
 ただ、いにしえびとが全員地味かというとそうではない。弥生時代よりも縄文時代の方が服装が派手だったとも言われているので。
 また高石青年は昔からあるような行事とか、儀式に強いわけではない。本人はそれほど興味を持っていないのだ。今風なものよりも、少し古い目のものが占める割合が強い程度。
 時代遅れの人と比べても、遅れすぎている。だから距離がありすぎて、独走状態。まるでトップを走っているようなもの。
 高橋青年は古代とか、または平安時代とかを調べ、身に付けたものではない。一切学んでいない。では、そういうのを何処から得たのかというと、今の世の中に、結構あるのだ。そこから吸収している。だから高石高青年、古いが今風なのだ。
 
   了
 

 


2022年1月14日

 

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