小説 川崎サイト

 

浅い人


 竹田は耳学問で浅学者。しかし耳の学者ではない。そのため、聞きかじりや、初歩的なことしか知らない。浅いが広い。ただもの凄く広いわけではなく、それを誇るものではない。色々なことをよく知っている博学、博識者ではない。
 色々な知識を聞きかじったり、食い散らしているだけ。そして一つのことに定着しない。踏み込んでよく調べたり、学んだりするだけの魅力がないため。
 だから、始めの方を少し学んだだけで、その傾向が分かり、いくら、そこを極めても、その傾向、方向が性に合わないと知ると、別の甘そうな水へと飛ぶ。
 ただ、また戻ってくることもあるが、それは見識が変わったためだろう。
 その見識、一つのことをやり続けて得たものではない。色々なところを巡り回って得たもの。だから、比べての話で、あちらよりもこちらの方がましとか、その程度なのだ。
 そして得た知識は、誰にでも手に入る簡単な知識なので、よりよく知っているわけではない。奥を極めるどころか、少し行ったところで、もう引き返していることが多い。要するに詳しくはない人でも知っている程度。
 世の中には色々な考え方があるというのを知る程度で、その中の一つを採用するにしても、飛びつけないところがどれにもある。これは、いくら探してもないかもしれない。
 そのため、知っているだけで、実行しないような感じだが、色々な考え方を並行的にやったりするのだから、これは何だろうかと、呆れるほど。まるで多重人格のように。
 しかし、どれもこれも悪くはなく、そして良くもない。
 どれもこれも半信半疑。あるところでは良いのだが、悪い面も出てくる。なかなか先へ進めないのは、狭苦しいところに埋没してしまいそうな気がするため。
 やはり、自分の頭で考えていないためだろう。借り物なのだ。そして、自分の頭で考えた場合、それはただの雰囲気とか、気持ちの動きの方が多いというのが分かりだした。その中味ではなく、ニュアンス。
 何となくいい感じ。これが自分の頭で考えた場合の結果だ。だが、何となくでは何ともならない。
 まあ、そういう御味方を集めればいいという話になる。これは自分好みとか、これはいい味だとか。
 つまり、竹田は感覚が指針になるのだろう。ただの条件反射。実はこれが大事で、第一印象で決まる。すると竹田は印象派なのだ。
「竹田君」
「はい」
「君の作文を読んだが、相変わらず浅いねえ。何が印象派だ。使い方が間違っている。そこから学び直しなさい」
「あ、はい」
「余計な雑念をしないで、一つでもいいから、それなりの研究をしなさい」
「美学なんてどうですか」
「また、すぐに違うものを考える。悪い癖だよ」
「あ、はい」
 
   了

 

 


2022年1月17日

 

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