小説 川崎サイト

 

妖怪雑感


 妖怪が出そうな場所がある。それは幽霊でも化け物でも、この世のものではないものでもかまわない。
 だが、この世のものではないものはこの世には存在しない。
 この世にはいないのだから、この世で見ることも出来ない。また、感じることもできないのは、感覚は身に備わったもので、この世のものなので、この世専用。その、この世のことさえうまく明解には感じていないかもしれない。
 つまり、この世のことでも分かっていなかったり、感覚がそこまで届かないとか、または勘違いとかもあり、よく理解できているわけではない。
 だからややこしいものも実はこの世の中にいるのではないか。この世の果てのような場所。地理的なことではなく、感覚として捉えるには遠すぎるもの。
 すると、妖怪もこの世にいてもいい。この世にいるのだが、感知が難しいだけ。異空間にいるわけでもなく、次元の異なる世界にいるのではない。この世に対してのあの世の、あっちの世界でもなく、この世の内。
 妖怪博士は、そういう説も可能ではないかと考えた。しかし、いったい何処にいるのだろう。この世にいるのだが、探しても見付からない。
 個人の頭の中にいるという説も可能だ。その人が思っている形の妖怪。一人一人、想像力が違うので、一人一人分の妖怪がいることになるが、ほぼ似たような形だろう。ただ、それは生まれ育ってからの今日までの記憶から来ているとすれば、県民性とか国民性とかで決まる。
 個人の頭の中での存在。それでは何でもありになるし、その人にしかその妖怪は見えないことなる。
 やはり複数の人が同じ妖怪を見ないと客観性が出ない。
 だから、頭の中の存在説は、融通が利きすぎて駄目だろう。
 何かの見間違い、錯覚説。これがかなり妥当かもしれない。妖怪の発生は、そのあたりの誤解から来ているのではないか。
 目撃者はそれを本物と勘違いした。しかし、それが流布することで、どんどん目鼻が付き、完成度が高くなる。そして、もういるものとして扱う。
 ただ、今の世では、それは通じない。誰も信じないだろう。
 そのため、現代妖怪、つまり新しい妖怪ほどビジュアル化できない。
 今の妖怪は、違った形で現れる。しかし、形はない。形があると逆に嘘臭い。
 妖怪博士はそこまで考えたのだが、そもそも妖怪などハナからいないのだから、その解説や解釈をする必要がないことに気付いた。
 これは最初から分かっていることだが、そういう妖怪臭い胡散臭いことは存在する。化け物じみたものや、この世のこととは思えないようなこの世での現象などがそうだろう。
 妖怪は、そういった現実の少し先の想像の中で出来たコブのようなもの。塊だ。
 これは雑念に近い。疑心暗鬼などもそうだろう。これなら個人だけではなく、複数の人でも体験できるかもしれない。
 妖怪は、心の持ち方とか、頭の中での想像ではなく、外部にいる。そうでないと、追求心も起こらないだろう。
 
   了


2022年2月4日

 

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